四半世記

感想文ページ(ネタバレあり)

恋愛が当たり前でない時代の恋愛物語 ‐ やがて君になる感想(8巻)

 ついに完結したやがて君になるを振り返った感想。

8巻というより総括。

 

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8巻の粗筋

ウイニングラン。 

 

燈子先輩がいかに可愛いかみたいな話はまた別の機会にするとして、 やや真面目な感想を。

8巻は燈子と侑が想いを伝えあって恋愛モノとしては最高潮の状態からはじまる。

そこから1巻分物語があるわけだけれども、セックスシーンがあるということ以外にもこういう構成にしたことにはちゃんと意味があると思っている。

 

やがて君になるはなにを描きたかったか

やがて気になるは超正統派恋愛漫画である。

私自身が1・2巻を読んだときに思った感想だけれども、「好き」という感情とか恋愛というものが誰にでも訪れるものではないという前提にたったうえで、あらためて恋愛を描く。

「好き」とか恋愛とかを疑ってかかったうえで恋愛を繰り広げる、恋愛に真摯な物語だと思う。だから超正統派。

試み自体は革命的という方向ではないけれど、終わりまで読んでみてかなり完成度が高いと思った。

 

やがて君になるの主人公小糸侑は、物語の開始時点では特別という気持ちがわからない。文字通り絵に描いた先輩に迫られてキスをされてもなにも思わない。

私は1巻初版を持ってる読者だけれども、出版された当初は侑と燈子の間で恋愛を介さない新しいタイプの関係性が築かれるという期待もあったように思う。2巻くらいまではどっちに転ぶかわからないところもあった。

でも、3巻のラストで方向性は明らかになって、この物語は主人公が望んで特別とか「好き」という感情を手に入れる(あるいは入れない)というテーマが示されることとなった。

恋愛という規範を外側からぶっ壊す革命児ではなく内側から飲み込んで概念を変質させる方向性。

そっと離れていった読者もいるし特にアニメ化をきっかけに途中から入ってきた読者もいる。着地点は恋愛ど真ん中でそれに歓喜した読者も失望した読者もいるかもしれないが、物語として描きたいものは最初から一貫している。

 

「好き」って結局なに?

7巻で明かされた沙弥香の「好き」は「あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう信頼の言葉」だった。燈子の全部が好きという沙弥香の感情を理由付けるとても明快な答え。たぶん多くの人が共感する答えだと思う。

 

侑の「好き」は8巻で「自分で選んで手を伸ばすもの」という答えが示されている。

侑は1巻の頃から星に手を伸ばす姿が描写されていて、それを掴むことに成功した。

侑は1巻の頃から燈子の傍にることを選びつづけてきたわけだけど、その頃と8巻でなにが違うかというと先輩を特別だと認識して選ぶということ、そうやって選ぶことが侑にとっての「好き」だと自分で決定したことが違う。

結局のところ侑には突然に降って湧いた巨大な感情のようなものは、かつてキラキラして感じられて自分にも降ってわくことを望んでいた感情そのものは湧かなかった。

その代わりに自分で選び続けてきた選択をあらためてすることでぞ自分にとっての「特別」を見出した。

ほんの少しのほろ苦さを感じる結果。少女漫画にでてくるような絵に描いた恋愛感情ではないけれど、そのほろ苦さは初読時にはわからないくらい小さい。侑が望んでいたものは手に入ったのだから。

 

燈子の「好き」ははっきりこれとは書かれてなくて上の二人よりは難しい。

そもそもやが君の面白さは燈子の読めなさにあるので、最後までわかりやすいようでなかなかわからない先輩だった。

燈子自身の「好き」という感情は侑が「特別って気持ちがわからないんです」と言ったところから始まっていて、好きという気持ち自体は物語を通じて変化がない。明確な理由があって生じたものではあるけどその熱量はそれこそ降って湧いたよう。侑が憧れていた感情を燈子は持ってた。

降って湧いたからこそ燈子は「好き」という感情の理不尽さをより思い知っていたのかもしれない。燈子が侑に言っていた「私を好きにならないで」というのは、燈子が今まで向けられてきた好きという感情が怖いというのもあるけれど、自分が侑へ向ける感情があまりにもコントロール不能だからこそそう思ったのかも。

そんな燈子が侑の「好き」を受け容れられたのはどうしてか。

燈子が最初に好きになった、侑が誰のことも特別に思わないというところはなくなって、それでも侑のことが好きなまま。好きなままなのは6巻ラストからも読み取れたけど、沙弥香の告白に返事をする際に自覚した(沙弥香がちょっとかわいそう)。

沙弥香とのシーンをみるに燈子の「好き」は沙弥香とは違う。変わっていく侑に信頼があるわけではなく、変わった侑を好きなままだったという結果だけがある。

侑の「好き」とも違う、侑を自発的に選んだわけではなく心臓が選んでいることを再確認しただけ。

 

だから、侑の告白はかなりリスクがあったのだ。燈子が侑を好きでなくなる可能性だってあった。でも一線を超えて踏み込んた。

3者3様の好きがあってそれぞれの望むものがあるなかで、最も深く踏み込んだ侑が燈子を変えて自分の望むものを手に入れた。それが明確な結末。

 

付き合ってからも侑と燈子の好きは違ったままで、それが同じにならなくたって関係性は続いていく。そういうのが描きたかったから8巻のウイニングラン部分があるんじゃないかと思う。

8巻まですべて読み終えて「好き」って結局なに?っと思い返しても1つの答えはない。侑と燈子の「好き」は同じにはならないし沙弥香だって振られても「好き」の概念が変わるわけではなし、もっといえば槙のように「好き」を持たなくたっていい。

 

持たなくてもいいはずなのだ。 

 

尊さを感じてしまうことの危険性

物語上は燈子と侑は想いを伝えあって恋愛関係になる。

これ以上ないというくらいの恋愛物としての終着点。伝え合った瞬間の盛り上がりと、その後のウイニングラン、濃厚なセックス描写も高校卒業後の二人の姿も描かれている。

正直に言って8巻のこの部分に尊さを感じるかといわれれば感じる。来年の劇も楽しみだし、結末までアニメ化してほしいと思うし、そのために資金が足りないというのであればクラウドファンディングするくらいのモチベーションはある。

それでも、『やがて君になる』の描いてきた世界観を考えたときに燈子と侑の関係の結末を過度に賛美するのは違うかな、と思う。

 

侑は物語のは始まり時点では「特別」がわからない人間だったし、槙は少なくとも物語終わり時点では「恋はわからない」のだろう。二人の違いは、「特別」を知りたいと願って行動したかどうか。

でも槙の在り方が間違っているわけでもない。

燈子と侑の関係も、燈子の自分は好きでいるけど相手に好きになってほしくないという当初の片面的な関係だって関係性としては成立すると思う。

3巻の感想でも書いたのだけど、燈子が侑の内心に気づいてやるべきだとまで言ってしまうのはやっぱり恋愛に重きを置きすぎているんじゃないかな。恋愛に忖度しすぎている、と1年前は表現したけれど。

 

恋愛が当たり前でない、という前提に立つと『やがて君になる』の結末もこうあるべきだと捉えるべきではないはず。燈子と侑の関係についても、侑が自分のわがままを通して燈子を変えたことに成功した、という部分をフラットにみたほうがこの作品のメッセージに沿っている。

侑の恋愛的な願望が成就する、それは燈子と侑の関係においてのパワーバランスの決着で、そこに尊さを過度に見出しすぎて”これこそが恋愛のあるべき姿”みたいにしてしまうとやっぱり恋愛がすべて、みたいな考え方に行きついてしまう。

燈子というキャラクターについても、侑によって変えられたことを素直に成長とは呼びたくない。成長というとどうしてもそうなることが正解みたいなニュアンスになってしまう。

もちろん、亡き姉になろうとしていた燈子にはいつ破綻するかもしれない危うさがあったし、侑も沙弥香も、おそらく読者の95%くらいは姉になろうとして自分を嫌いな在り方や、相手にだけ「好き」を受け容れさせる姿勢に否定的だと思う。

でも、姉になろうとしたことで得たものだって燈子を構成しているわけだし、変わる前の燈子にしかない魅力もある。相手に「好き」といわせない関係だって侑のように「特別」を知りたいと思っていなければうまくいったかもしれない。

だから、燈子と侑のようになることだけが正解ということはない。

 

とても多くの人がこの恋愛漫画をとても高く評価していて、百合という分野でもそうでなくても今後いろんな作品と比較され続けていくだろうけれど。

8巻が過不足なくきれいに終わったことで燈子と侑の関係が完璧のようにみえたとしても。

それでもなおその関係が唯一絶対のものではないということを描いていること、それが『やがて君になる』という作品の最大の魅力だと声を大にして言いたい。

 

www.excite.co.jp

 

結び

https://n-nio.net/

作者の仲谷先生のホームページなんですが、最終巻が発売された11月27日の記事に

「私は終わらない物語よりもきちんと閉じる物語が好きなので、自分がそれをやれたのは嬉しいね。」

と語られている。

商業性を考えると多方面に展開して永遠であるかのように続いていく作品が強いなかで、連載デビュー作にしてこれだけきっちり終わったのはほんとうにすごい。

 

私は半永久的に拡大していく物語より明確な終わりがある物語のほうが好き。

好きなテーマの作品が好きな形で終わってくれたのだから、創作に望むこれ以上のことはない。

その姿勢は、もしかしたらいつか変わってしまうのかもしれない。

けれど、『やがて君になる』という作品をその姿勢のまま産みだしたこと、その事実がある限り次回作以降も応援していくのだろう。

そう感じることができる作品だった。

 

 

 

やがて君になる(8)
仲谷鳰
2019/11/27
748円
210ページ