やがて君になる5-6巻の感想について、七海燈子を中心に
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5‐6巻の粗筋
4巻のラストは、侑が燈子に変わってほしくて劇の結末を変えることを決意したところまで。
5巻はそこから劇に至るまで、6巻は劇が終わったその後まで。
劇はやがて君になるという物語の大きな柱で、七海燈子のためのもの。
だから七海燈子というキャラクターにフォーカスして感想をしたためてみたい。
他にもいろいろな要素があるのだけど、それはまたいつかということで。
ちなみに2018年のアニメの放送範囲は5巻24話の「灯台」までなので、アニメ版の既放送範囲を超えた内容になります。
七海燈子にとっての姉
物語開始時点の七海燈子を一言で表すと「お姉ちゃんになりたい妹」。
小さい頃は「いつも誰かの陰に隠れてた」(1巻155ページ)。
誰か表現されているけれどもほぼほぼ姉の陰なんだろうと思う。
その姉が交通事故で亡くなって、「お姉ちゃんの代わりになろうと思った」(2巻157ページ)。
お姉ちゃんのように振舞えばみんなの特別になれたから。
生徒会劇はお姉ちゃんがやり残したことだからこそ、燈子はそれに執着する。
燈子にとっての特別である侑と天秤にかけても劇(姉)を優先する。
この執着心をどのように評価するは難しいものがある。
お姉ちゃんの代わりになろうとするという行為自体は燈子に負荷をかけていることは確か。独立した個人という存在を尊重したらあり方として望ましくないのかもしれない。
でも、お姉ちゃんになろうとしたからこそ得られたものもたくさんある。
まわりの特別になったこともそうだし、侑との出会いも燈子がそういう存在でなければなかったかもしれない。あの侑をして1巻冒頭から「かっこいい先輩」(1巻14ページ)と形容させるくらいだし。
だから肯定的にも否定的にも断ずることはできない。お姉ちゃんへの執着は燈子にとって不可欠なものであったのだろうから。
執着心の当否とは別に、燈子にとっての姉の像が一面的なものであることも4巻までで描写されてきたところでもある。
4巻では姉の同級生の市ヶ谷からおいしいところだけもっていくとか役員総出で夏休みの宿題を手伝ったとか、そういう完璧とは遠い姿も明かされている。
だから「お姉ちゃんになりたい」というよりは「自分がお姉ちゃんだと思っていた姿になりたい」。自分の思い描いた姿になりたい、ある意味では自己実現なのかもしれない。
七海燈子にとっての劇
「燈子にとってあれはもうたかが劇なんて言えるものじゃない」(5巻109ページ)
という沙弥香のことばのとおり、劇は燈子にとっても、この物語にとっても核となる意味をもっている。
劇のあらすじは、
記憶を失くした少女に対して、3通りの姿を語る見舞客(同級生・弟・恋人)。
同級生は完璧で理想的な姿を、弟は冷たくて孤独な姿を、恋人は弱さをさらけ出す姿を語る。
当初のプロットでは、恋人に見せていた姿が本当の自分だと選択する。
詳しい内容は、漫画では詳細には語られていなかったが、アニメ12話のほうで練習をしている描写の補完があって興味深い。携帯のパスワードも恋人のパスワードであったことがラストで判明し、選択の正しさを裏付けられた形で締められる。
過去の自分と同じ選択をして、それが正しいと過去の自分に裏付けられる。
侑が介入したあとのプロットは、6巻の本番でじっくりと語られる。
携帯のパスワードは見舞客3人と関係する数字を足したものであることが判明し、葛藤の末過去の自分のどれかになるのではなく、今の自分が最も自然でいられる在り方を選択する。
劇は本編そのものではないけれど複数の側面から関連している。
まず、誰かにならなくてはならないという意識。交通事故にあった劇の主人公と姉が亡くなるまで自分になにもなかったという燈子は、その意識を強く有するという点で共通する。
次に、なにが本当の姿だったのかわからないということ。交通事故前の劇の主人公も燈子の姉の澪も、複数の顔をもっていたけれどもそれをどういう意図で使い分けていたのかどうして使い分けていたのかは語られない。
「観客が見てるのは今の主人公でしょ」(5巻22ページ)という侑のセリフが示すとおり、読者そして主人公である侑がみてる七海燈子は姉が死んでからの姿でしかない。だから、必要以上に過去の情報を出さないのは物語のつくりからして意図的だと感じる。
そして、恋人との関係。
劇の主人公は、恋人の前だけでみせた弱さがあった。それが本当の素顔なのかはわからないけれども。燈子も、恋人(にはなっていないけれど)的な存在である侑の前だけで見せる顔がある。
劇では、恋人の前で見せていた自分を本当の自分と定義づけるのをやめている。そして、劇をそういう結末に変えることで、燈子の侑に対する依存関係を止めている。
「侑のこと好きな部分は私だって言い切れる」(5巻55ページ)という燈子は、姉を模倣する部分と本当の自分を分けていた。それを劇中で「違ったんだね」(6巻96ページ)と心から言わせることで、姉を模倣していた自分に向けられたものも自分自身に向けられたものとして受け容れることができるようになった。
すなわち、「お姉ちゃんになりたい」自分を自分として認められるようになったということだと思う。そして、それが燈子にとっての劇の最終的な意味なのだろう。
七海燈子にとっての小糸侑
5巻前半までの燈子にとっての侑は、自分のことを知っている人だった。
燈子目線からいえば自分の弱みを曝け出しているのは侑に対してのみで、だからこそ欲望にストレートに行動することができたのだろう。
5巻後半で侑が劇の結末を変えようとする=姉になり代わろうとだけすることを否定することによって、距離が空くことになる。
それでも5巻ラストで最終的に頼る相手は侑だったわけで、しかも「キスさせて」というリビドーど直球な甘え方はこれぞ七海燈子という感じなのだが、これは2巻の河原のシーンで侑を拒絶した場面と比較すると随分と力関係が変わっている。
2巻のときは「わたしの言うことになら耳を貸してくれると思っていた」(159ページ)という侑の見立ては外れていたのだけど、そこから気持ちを押しとどめて関係を続けていくなかで燈子の心理的外壁を破ることに成功した。
そしてここが侑のすごいところだけれど、「好きでいさせて」という燈子の懇願に対して姉になりたいという気持ちを否定しないで応えたところ。そこを否定しなかったからこそ、侑への信頼と6巻での劇の成功による実証へと繋がっていく。だから、侑を主人公とした燈子へのアプローチは5巻末で決着がついている。
劇終了後の燈子の侑への感情の変化というのはわかりそうでわからない。
「全部先輩のものです」(5巻162ページ)という侑の言葉を信じて劇を成功させ、そのの結果残ったものを「本当に私のものだったらいいなって」(6巻123ページ)思えるくらいにはなった。姉への執着も侑を好きと思う気持ちへの依存も緩和されている。
そうはいっても侑を抱きよせて「大好きだよ」(6巻126ページ)と言ったり「これからも今までどおりそばにいれくれたら嬉しいな」(6巻155ページ)と言ったり、基本的なスタンスは変わらないようにみえる。
でも、読んでる読者からすると侑と同じように燈子先輩結構変わったなって思うわけです。言葉での表現は難しいのだけど。
左が劇前(5巻)で右が劇後(6巻)。雰囲気が違う、絵ってここまで表現できるんですね。
あらためて読み返すと、燈子は欲望のままに侑を振り回す姿が印象的なんだけれど、一つ一つのコマを見ていくと物憂げな表情とか陰のある表情が多い。それが、劇のあとの6巻だとすごくすっきりした表情になってて、しかもそれが持続している。ここまで6巻あって燈子のそういう表情が続くというのははじめてだったりする。
でもそれは決して周りがみえて余裕があるわけじゃない。侑の変化に気づいているわけでもない。
侑が燈子に好きと伝える瞬間、それは3巻ラストからいつかそういう瞬間が来ると予測されていて、いざその時がきたら燈子はどういう反応するだろうと色んな人が色んな予測をしていたのだけど、私は思ったよりも柔らかい反応だなと思った。
好きといわれた瞬間に冷めそうとか、そういう極端な予想も2巻くらいのときは現実味があったんだけど、追いかけなきゃと思うくらいには世界との接点ができてるんだなーと。そして、侑の告白に呆然とするくらい侑のことを素直に信じきっていたんだ、と。その無防備な素直さが私が思う燈子の最大の魅力で、一方でそれなりの数の読者に「そういうところだぞ」と指をさされる点でもある。
侑の燈子への好きという気持ち。それは「全部先輩のものです」というもののなかで最も大きいもので、同時に信じていた侑が信じていたとおりの姿でなく燈子自身が拠り所としていた侑への気持ちの出発点を揺るがせるものである。
だからこそ、「侑のことが…怖いなんて……」で締められる。
やがて君になるにおいての七海燈子とは
6巻までのやがて君になる、という作品の中心は生徒会劇にあったといっていい。
1巻末で燈子が生徒会長になり、2巻から生徒会劇の復活を目論んでいることが語られる。そこから6巻の劇の成功まで、話の軸であり続けた。
劇そのものの内容は、燈子のパーソナリティに直結した内容となっている。自分がなく、誰かになり代わらないといけないと思っていた。けれどそれは違っていて、なりたい自分を選ぶというその選択自体が自分だということを受け容れられた。
主人公である侑がそう望みそうなるように行動した対象、そういう意味では正しくヒロインしているのである。
劇と七海燈子を通じて描かれてきた「自分」というテーマ、自身の選択によって自分を形つくっていくというテーマ。これは、やがて君になるのもう一つのテーマは「好き」という気持ちがなんなのか、という侑が抱えてきたもう一つのテーマと密接に関わっている。
「自分」という概念「好き」という気持ちの主体・客体になるもので、自分と他人の境界がないと「好き」という気持ちは成立しない。自分と他人の境界が曖昧ならば何を好きということもできないし、好きになられる対象も認識できない。
「好き」ということの前提になっていた「自分」を見出したことで、燈子は今まで無邪気に発してきた侑への「好き」という気持ちに向かい合えるようになる。6巻まできてついに侑と燈子が同じテーマを追いかけられるところまできたといえる。
こうしてみると侑と燈子は密接に関係したテーマを抱えるダブル主人公という感じだ。
結び
今回は燈子にすごくフォーカスして感想を書いてみたけど、他にも魅力的なシーンはたくさんあった。
なかでも、侑が「私だけがあなたの特別でいられたのに」とつぶやくところとか、34話冒頭で侑がひたすら燈子をちら見しているところとか。いままでは侑についてあんまり可愛いみたいな感情を持たなかったけど、34話の冒頭の破壊力はすごかった…
侑の可愛さを引き出したのはまぎれもない燈子先輩である。長々と書いてみたけれども、七海燈子というキャラの魅力はこの事実に尽きるといってもいい。