四半世記

感想文ページ(ネタバレあり)

【祝・松浦理英子新連載】ヒカリ文集 世界最速感想記事

 

 

蝉のような周期で新作を出してくれる私の敬愛する作家、松浦理英子氏の新作が文芸雑誌群像8月号(2019年7月5日発売)にて連載開始されていた。

紙本として出版された前作の最愛の子どもからわずか2年、昨年は風鈴という作品が電子で出たことからするとここ3年連続で新作が出る。信じられないことだ。

 

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特に前触れもなくやってきた新作の名は『ヒカリ文集』。

ある劇団の姫的存在であったヒカリという人物について元劇団員たちがなにかしらを寄稿するというもの。

異なった形式でいくつかのエピソードが展開されるという点では同作者の『裏ヴァージョン』と似ている。また、ある共同体における特定の人物が他人目線で描かれるという点では『最愛の子ども』とも似ている。

両作品をふまえた新たな領域を目指す試みということでとても楽しみな連載。

 

以下から群像8月号分のネタバレを含みます。

 

破月悠高・あるいは登場人物所感

ヒカリ文集の出だしを飾るのは故人・破月悠高による未完成の戯曲。素朴なつくりで、登場人物を紹介する役割を持っていると思われる。

ここで描かれるのはあくまでも破月悠高という人物による劇団員たちのヒカリへの印象であり、たぶん多くは事実に近いのであろうけれども異なる点もあるのだと予測できるつくり。

 

以下、戯曲内での登場人物の描かれ方と私の印象。

 

破月悠高

序によると故人であり、ヒカリの面影を追って被災地に芝居のボランティアをやりにいったらしい。

劇作家・演出家で小説も一作出したらしい。

弱さが見え隠れする奴が好きでミーティングとかいって劇団員から弱みを聞き出していた(by裕)

ヒカリとは長い時間を一緒に過ごしたが性行為はしていないらしい。

戯曲のなかで自分を美醜両面客観的に描いているようにも巧妙に美味しいポジションに配置しているようにもみえる。

真岡久代

悠高の妻。

劇団NTRの母性で無駄に人の世話を焼かなかったところがいい(by裕)

悠高とヒカリとの間でけりがついたあとに悠高とヒカリと3人でニューヨーク旅行をした。

妻だからか悠高の戯曲なかではあまり描写がない。けれどもヒカリ文集をつくることに強い執着をみせたのはこの人だから、悠高とヒカリに大きな感情があるのだろう。

鷹野裕

ワインバー勤めで、ホスト顔といわれてたらしい。劇団時代はファンの女の子がいた。

一度結婚したらしい。

小説を書きたくて、新人賞に応募したが最終候補には残ったことがないらしい。

劇団のブレイン、女性の欲望をかき立てるタイプ(by悠高)

外見でこの人あわないと思ったがそうでもなかった(by優也)

 

劇団NTRの命名に寄与。

ロマンチストに中年の中途半端さがまじって痛々しさがある。

秋谷優也

毎日サラリーマンやってるらしい。

無邪気で純朴(by悠高)

ヒカリの一番のファン(by裕)

ヒカリと仲よく(意味深)なったのは後のほうらしい

無邪気そうにみえてなんだか怖さがある。なにかしらの地雷がありそうな気配。

小滝朝奈

結婚してる。

朝奈の顔は可愛いけど私の好みじゃないから恋愛対象にならない(by雪実) 

久代と同じくらい戯曲のなかでは描写がうすい。けど、実は雪実よりもヒカリに対して強い感情をもってそう。

飛方雪実

一緒に暮らしてる女性がいる。

ヒカリには執着していたらしいが「執着してたもいつでも逃げ出せる態勢でいるのが雪実流」(by悠高)

恋人同士でなかったのはわかってたけど裕と雪実は仲がよかった、結婚するかもと思ってた(by優也)

わりとオープンにレズビアン枠。

酒井順平

劇団員ではなく悠高家に居候している遠い親戚。

狂言回し的役割でたぶん物語上の世界に実在しない人物。

年上に誘い受け体質。

賀集ヒカリ

劇団のマドンナ(by裕)

みんなに興味と愛情を向けられる女性(by久代)

興味と、愛情と、欲望を向けられていた(by雪実)

ヒカリは優しいけどどこかで人を拒んでる(by雪実)

三日くらいヒカリのそばにいたら完全に依存してた(by朝奈)

胸の内がどうあろうと笑顔は極上(by優也)

姫気質、というよりは奉仕気質でまわりから好かれるけどある線から内側には誰も寄せつけないというか。消息不明だけど登場するのだろうか、気になる。

 

戯曲はヒカリについてそれぞれが即興劇をやろうとするところで切れて未完成になっている。

その後の各々の作品はいわばこの即興劇にあたる構造になるのだろう。わくわくするよ。

 

鷹野裕

鷹野裕は序でもかかれていたように小説というスタイルを選択。

父親を殴って実家を放逐されたことや雪実との関係、ヒカリとの関係、悠高の戯曲で出てた3人のエピソードが語られる。

この小説によれば、ヒカリが加わる前は裕と雪実は性行為を必要としない親密さがあった。ヒカリは二人の親密さに惹かれたのではないかと考察されている。

語られている事実を抜き出せばヒカリは雪実と付き合い別れ、その後に裕と付き合い別れる。同じ女性にふられることで裕と雪実の親密性は増す。二人が劇団をさぼってレンタカーで遠出をしようとすると、バイクで追いかけてきて引き戻す。

 

描かれてるエピソードをみるとヒカリはサークルクラッシャー的な行動をとりながら裕と雪実の関係、劇団との関係を考えているようでどういう目的で動いているのか測り難い。

測り難いが、書かれている推測を信用すれば、ヒカリは親密な関係が欲しかったのだろうか。

多くの人にとって、恋愛と友情の間には線があってそれぞれの関係には求めるものが違う。裕も雪実も二つを峻別するタイプとして描かれている。互いは恋愛の対象ではないが二人にとってヒカリは恋愛の対象であった。だから、ヒカリが外から二人をみていて、二人の間にある関係に惹かれて近づいたとしても、ヒカリが二人からそれを得られることはない。だから最終的には離れるしかない。

だからヒカリは一見クラッシュさせた側にみえて二人とのいわば宗教観の違いでクラッシュした側なのかもしれない。

語り手である裕はヒカリとの関係を「心を開き合うのを避けたかたちだけの友達」とまで形容しているのだから、その溝は小さいものではない。富士山に行くシーンも、裕と雪実は車のなかで閉じられた空間を共有する一方、ヒカリはバイクで壁を隔てて声も届かないというのはなんとも象徴的な絵だ。

でも、恋愛と友情の間に線があるように書いたけど、それはあると思わされているだけなのかもしれない。そもそも恋愛と友情なんてそんな簡単に形容して切り離せるものなのか。語り手の裕だって、雪実との関係は性的な要素は薄くとも肉体的な接触が結びつきを強くした面はあるのだし、その境界は常にはっきりした場所にあるわけではないのだと思う。たぶん、多くの人にとってもそう。

ただ、どこにあるかわからないその線を越えてしまうとそれが曖昧であったことさえも薄らいでしまう。そんなふうに感じた。

 

今後の楽しみ

他の視点が楽しみ。ヒカリとの溝を終始におわせた裕に対して雪実がどんなことを語るのか気になる。ここまでであまり存在感がなかった久代や朝奈もどんな内容になるのか気になる。

そして文体。オーソドックスや小説体をもう使ってしまったけれども文体でも攻めてくるのだろうか。

そして連載と銘うたれているけれども毎月ごとに掲載されるのか。それも楽しみにしながら気長に次を待っていたい。