人は神話と共に生きてきた
(公式ホームページ紹介文より)
RD-soundsという方の主催するFeuille-Morteという音楽サークルが2015年秋のM3で発売した「ミソロジア」というオリジナル・ファンタジー・アルバムについて
公式ページ
http://www.feuille-morte.com/mythologia.html
ミソロジアは公式ページの紹介のとおり、神話の始まり・変遷・その終わりをテーマにすえたアルバム。
私が推しているRD-soundsという方は東方projectの二次創作サークルである凋叶棕での活動のほうが著名かもしれないが、こちらはオリジナルなので東方を知らない人にもおすすめできる。コンセプトが明確でファンタジー色の強いメロディが特徴なので、初めての1枚として是非に。
一方で、Feuille-Morteとしての次作である『ワンダリア』と比べて行間が多いため、詳細まで解釈しようとすると難しいところもある。この記事で書くのは考察というより感想・妄想よりなのでふーん、と読んでもらえれば。
曲目は
1. 「ミソロジア」 vo.めらみぽっぷ
2. 「River」 vo.めらみぽっぷ
3. 「あらしのうた」 vo.めらみぽっぷ
4. 「ポラリス」 vo.中惠光城
5. 「エクスデウス」 vo.めらみぽっぷ
6. (すいへいせんのむこうがわ) vo.めらみぽっぷ
概観すると、
1曲目のミソロジアが神話についての総論で、
2~5曲目がそれぞれ独立した神話、5曲目については神話の終わり
そして6曲目は新たな始まりを題材にしていると思われる。
1. ミソロジア
「けしてそれらは 暴かれず」
神話の総論について。
神話は人にとって闇を照らすためのものであった。
歌詞にあるとおり、星々とか雷とか自然的なものの、そして過去の人の行いも物語として語られる。語られることによって明らかにされ、闇を照らす。
語られたこと自体も過去のものとなり、それは語り手不明の神々のことばとして神話となる。
これが公式ホームページの試聴部分の歌詞の紹介だが、コンセプトが素晴らしい。歴史としてのリアルと厨二心をくすぐる創作性の両面を兼ねそろえた歌詞、神秘的で荘厳なメロディ。できれば試聴を聞いて、フルで聞いてほしい曲。
この曲の難しいところは歌詞カードの絵と中盤の歌詞にある。
歌詞カードの絵は博物館のような場所に絵から抜け出した少女。絵は神話そのもので、抜け出している少女は神話の擬人化だろうか。絵画から抜け出しているのは、暗闇を文明の力で振り払った今でも人の手のなかで神話が息づいていることを示しているとか。
多数の人のシルエットのなかで一人だけ振り返っている人がいるけど、これも重要な意味がありそう。この絵の状況はある程度文明が進んでいる時代だと思われるので、実際に手のなかで神々の言葉を握りしてめているのはほんの一部の人で、多くの人はまさに絵空事としてしかみてないとか。
中盤の歌詞については、『創生』『守護』『争い』『繁栄』の4つの神話が示されていいて、RD氏の作り方的には2~5曲目をあらわしているようにも思えるけど、しっくりとこない感じもある。
あらしのうたが『守護』でエクスデウスが『繁栄』というのはわかるけど、Riverが『創生』でポラリスが『争い』というのはうーんという感じ。完全にイメージが一致しないというか。これは各曲の考察が足りないのかもしれない。
そして、「けしてそれらは 暴かれず」という歌詞。
神話は暴かれないからこそ価値があり、実はこういうことだったんだとか暴かれてしまうと神秘性は失われる。でも人はそれをせずにはいられない。
神話も人が語ったものとするならば、人はかつて自分たちが創造したものを自分たちの手で暴いて打ち捨てるということになる。この矛盾というか、二律背反というか、性というか、そういうものがたまらない。
2. River
「待つことの 苦しさよりも 時が この身を苛む」
この曲で語られる神話は、紅い河のほとりで彼を交わした再会の約束を信じた少女がいつまでも待ち続けて・・・という内容。
待つことよりも時がすぎて身体が朽ちていくのが障害で、待ち続けるために永遠が欲しい。なんとも眩しい感情。歌詞的には最終的に入水したのだろうか。
この歌のポイントは、歌詞カードの絵に人が描かれていないことだと思う。人物の影すらもないのはこの曲だけ。
だから、実際にそういう少女がいたかどうかそれ自体もわからないということだと思う。待ってる少女がいてそれを人々が語ったのか、河のほとりの紅い花をみて人々が話を創造したのか、それさえもわからない。まさにそれこそが神話の原点。そういう意味では 『創生』要素があるのかもしれない。四大文明が河のほとりから始まったというのも『創生』要素。そう考えると結構あるかも。
待つことが苦痛でないというのはなんとも清らかな感情で個人的には理解を超えるけれど、そういう感情さえも神話の一部だと考えるとしっくりくる。
花という人よりも儚いものに永遠をこめるのはなんともおしゃれ。
3. あらしのうた
「ただただ信じるものの狂人さは」
とにかく力強い歌。
神話を信じない人がでてきた時代に、あらしのよるにすがたをあらわすという古びた神話を信じて待ち続けた少女の話。最終的にはその少女も神話として語られるという構造をもつ。語り継がれることでその姿を変えていくという神話の性質の歌でもある。
この曲はサビに至るまでのメロディがすごくかっこいい。特に「今はもう~」と「失くしつつ~」という部分。信じるということの力強さ恐ろしさがわかる。
その力強さが結果的にどうなったか。あらしのよるに彼女は神話のとおりその存在に会えたのか、あるいは嵐に吹き飛ばされて天に召されて亡骸さえも行方不明になったのか、どちらなのかはわからない。わからないからこそ彼女は新たな神話になったのだろう。
個人的には後者だと思ってしまうけれども、その信仰心はまさに神話のよう。
4. ポラリス
「その不動の輝きただ一つ」
この曲は「ホシノウタ」という今はもう入手困難なCDが初出であり、やや趣を異にする。
歌詞カードの絵では制服がでてきてかなり現代的な世界になっている。
うごかないからだをかかえている少女が、同じく動かない北極星に、誰かの希望になりたいという自分の希望を仮託する内容。人に方角を示し続けてきた北極星が、その示し続けてきたという神話ゆえに別の形で人の希望になるという構造をもつ。
この曲において北極星は少女の希望になっているが、同時に人と神話の距離も感じる曲となっている。前2曲と違って少女は神話にならないし、北極星と少女の繋がりを認識する他人もいない。人工灯の輝く世界では目を凝らさないと北極星自体見えないし、文明が正常に機能していれば見る必要もない。今はスマホをつければ方位磁石が出る時代なのだ。
だから、再び人にとって北極星が必要になるのは世界が再び闇に包まれたとき、文明が滅んだときになる。
5. エクスデウス
「もはや暴かれず 暴きつくした成れの果てとなる」
人があらゆる闇を打ち払った未来の世界の話。歌詞カードの白い世界が眩しい。
秘密を暴く、二人というモチーフが東方の秘封倶楽部を想起させる。凋叶棕での『密』というアルバムが近い時期に出されていることからも、テーマとしての類似性がある、かもしれない。
この歌ほど終焉という言葉が似あうものはない。
デウス・エクス・マキナという古代ギリシア演劇の終わりの手法は、いわば神の一声のようなもので演劇を強引に終わらせるものとして評価されている。
その言葉をひっくり返した遥か未来の話であるエクスデウスという名のこの曲は、世界を暴きつくした果てに最後の闇である相手の存在を手にかけて片方が一人残る、最も自然で救いのない終わりを描いている。
ただ、歌詞中ではエクスデウスはこの二人ではなく”神だったもの”のほうにふられている。
「もはや暴かれず 暴きつくした成れ果てとなる」
このフレーズは凋叶棕やその他提供曲も含めてRD氏の歌詞のなかで最も好きな歌詞。ミソロジアとの対比がとても美しい。
このような状況がもし未来にあるのだとしたら、この神話は誰にも観測されない。このような状況に至る前の、過去でしか創造されない。ゆえにけして暴かれない不可侵の神話。最後にその手の中に残るのは成れの果てはそういうものなのだ。
6. (すいへいせんのむこうがわ)
歌詞がすごい曲
ぱっと見てまったく読めない歌詞は、しかしある程度読めるというのがすごいところ。
基本的には表音文字だが、水平線とか空とか波とかこの曲のなかでモチーフとなっているものは表意文字になっている。
世界観的には一度文明が終わったあとにまた別の文明がおこった感じだろうか。未知の世界へ踏み出す輝かしさが全面に出たすがすがしい歌。だが、それだけではない気もする。
この曲は歌詞に阻まれて読み取り切れないが、中盤に4つほど神話らしき表記がある。ここがなんて言っているかわからないようにしてるのはなんとも憎い演出。
そして、「あすなきたみとして」「きのうなきたみとして」という部分も少し不穏なものを感じないでもない。中盤の部分はめらみさんの声色が少し変えてある部分でもあり、前の世界との繋がりを匂わされているような気もする。
読み取り切れないようにつくってあるのはたぶんわざとで、そうして未知の世界に繰り出すことを演出してるのだと思う。
そしていつしか彼女も・・・
おすすめポイント
特にミソロジアとエクスデウスがおすすめ。神話というテーマが好みなのもあって、そのテーマをストレートに反映してる歌詞に惹かれる。
冒頭でも述べたけど、このブログで度々紹介しているRD-soundsという方の作品の、初めての1枚としても聞きやすいと思います。