四半世記

感想文ページ(ネタバレあり)

初めての凋叶棕はこの5曲を聞いてくれ(サブスク編)

凋叶棕とは?

このブログでもたびたび感想をあげている凋叶棕(てぃあおいえつぉん)。

一言でいえば、「東方Project」という弾幕シューティングゲーム等を原著作物として二次創作を行う音楽サークル。

「東方Project」は二次創作が非常に盛んな作品であるのだけど、そのなかでも凋叶棕の作品はとても特徴がある。

例えば原作の読解の深さだったり歌詞カードの作り込み具合だったりCDそのものにされた細工だったり。

 

しかし、そういう細部に神が宿ってる作り込みを他人に薦めるのは難しい。

原作をやってCDを聞いて歌詞カードを読んで歌詞の意味するところを考えてときには他の二次創作を嗜んで・・・

そのすべてを行えば行うほど楽しめると思うのだけど、ときにそれが遠すぎてつらい。

そしてそれは既存のファンにとってもそう。

私自身、プライベートの都合で1年半くらい離れざるをえなかった時期があるのだけど、それだけで最新作についていけなくなった時間もあった。

 

ところで時代はサブスクリプション。

CDで聞いてこそ、の凋叶棕の楽曲もサブスクで聞くことができるようになった。

この流れには様々な意見があるだろうけど動画サイトで違法視聴数が万を超えてた時よりはよっぽどいいと思う。

もちろんCDを買ったほうが楽しめるけれど、入口としては充分機能すると思う。

 

事情あって1年半くらい離れてた自分自身へのリハビリという意味も込めて。

サブスクで聞くということを前提におすすめのボーカル曲を5曲あげてみた。

聞いてみてほしい。

 

※2021年6月、最新作「報」

サブスクはSpotifyを前提(Apple Musicでも変わらないとは思う)

 

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初心者向け評価基準

東方Project原作に触れて間もない・断片的にしか知らない人がサブスクで聞くということを前提に、評価基準をつくってみた。

 

1~5の5段階、下にいくほど主観的

①原曲アクセス容易度(原曲を体験したい場合の難易度)

  ☆☆☆☆☆ 6面までの曲

  ☆☆☆☆  EX

  ☆☆☆   小数点作品・CD

  ☆☆    書籍

  ☆     旧作・オリジナル

②歌詞理解容易度(歌詞カードなしで聞くことが前提のため)

  ☆☆☆☆☆ わかる

  ☆☆☆☆  当て字がある等やや聞き取れない

  ☆☆☆   理解には絵がほしい

  ☆☆    二次資料が欲しい

  ☆     わからん

③原曲想起度(どれくらい原曲を感じられるか)

  ☆☆☆☆☆ 歌メロの中心の部分に感じる

  ☆☆☆☆  歌メロの一部に感じる

  ☆☆☆   歌以外のメロディに感じる

  ☆☆    ペースをいじればわかる

  ☆     わからん

④創作度(歌詞内容として原作からどれくらい創作を加えているか)

  ☆☆☆☆☆ 原作設定をそのまま歌に

  ☆☆☆☆  原作から追加小

  ☆☆☆   原作から追加大

  ☆☆    二次創作オンリー設定が下敷き

  ☆     あらたな二次創作

⑤メロディのキャッチーさ(主観)

 

上記はあくまでも初心者向けとしての指標であって、曲そのものとしての評価とは異なることをご留意。

 

おすすめ5曲

 

Ⅰ ささぐうた-ヒガン・ルトゥール・シンフォニー-(『遙』収録)

原曲: 彼岸帰航 ~ Riverside View(東方花映塚)

☆23

①原曲アクセス ☆☆☆☆☆

②歌詞理解   ☆☆☆☆

③原曲想起   ☆☆☆☆☆

④創作度    ☆☆☆☆☆ 

⑤キャッチーさ ☆☆☆☆

 

東方花映塚の小野塚小町を題材にした曲。

三図の水先案内人というキャラクター設定をストレートにしたような内容の曲で、その設定を知っていれば誰を送っているのかはともかく歌の内容は歌詞カードなしでも理解できる。原作では仕事をしてない印象が強いけど仕事をしているときの曲。

そして彼岸帰航という聞きやすい原曲をかなり反映しているメロディも受け容れやすいと思う。

惜しむらくは花映塚がナンバリング作品のなかでは特異でとっつきづらいゲーム性をしていること。コンテニューしてもエンディングみられるから難易度としては高くない、というかノーコンクリアはきつい。ストーリーは死が絡んでいるだけあっていい雰囲気で面白い作品だと思うんだけどね。

 

 

Ⅱ 語九十九節(『逆』収録)

原曲:幻想浄瑠璃 (東方輝針城)

☆23

①原曲アクセス ☆☆☆☆☆

②歌詞理解   ☆☆☆☆

③原曲想起   ☆☆☆☆

④創作度    ☆☆☆☆☆ 

⑤キャッチーさ ☆☆☆☆☆

 

東方輝針城4面ボスの九十九弁々と九十九八橋の姉妹をテーマにした曲。

琵琶と琴の付喪神の姉妹で、それぞれの楽器で奏でている感があり味付けもまた伝統楽器的。ツインボーカルなのもおいしい。

とにかく原曲もメロディもキャッチーで音という面では凋叶棕楽曲のなかでトップクラスのおすすめ曲。

原作も輝針城は多少くせがあるものの比較的簡単な部類(咲夜妖器なしを除き)で入門作の選択肢としてあり。ただし九十九姉妹の部分はそれなりに苦戦するかもしれない。シリーズ共通だけど4面をうまく突破するパターンを見出すことがクリアの鍵なのだ。 

 

 

Ⅲ <正調>佐渡の二ツ岩(『徒』収録)

原曲: 

☆22

①原曲アクセス ☆☆☆☆

②歌詞理解   ☆☆☆☆

③原曲想起   ☆☆☆☆☆

④創作度    ☆☆☆☆ 

⑤キャッチーさ ☆☆☆☆☆

 

東方神霊廟のEXボスの二ッ岩マミゾウの元ネタである佐渡の狸の元締め団三郎狸を題材にした曲。

マミゾウは外の世界から幻想郷に呼び寄せられた設定で、それを佐渡のタヌキ側から歌ったと解釈すると地味にせつなさのある曲。

演歌的曲調に原曲に近いキャッチーなメロディ、適度な短さ。カラオケで凋叶棕を歌うならこの曲がいいと思う。

神霊廟のノーマルは歴代作品のなかでも簡単なほうだけどEXは個人的には少し難しめ。というかノーマルでは無視してもクリアできた霊界システムを使いこなさないとクリアできなかった思い出。

 

 

Ⅳ ブラック・ロータス(『屠』収録)

原曲:感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind(東方星蓮船)

☆21

①原曲アクセス ☆☆☆☆☆

②歌詞理解   ☆☆☆☆

③原曲想起   ☆☆☆

④創作度    ☆☆☆☆☆

⑤キャッチーさ ☆☆☆☆

 

東方星蓮船の6面ボス聖白蓮をテーマにした曲。

ゲームをやってるうえではそれほど表に出てこないけれどキャラ設定textをみると彼女が関係する人物が死んで死を極端に怖れるようになってからのストーリーが比較的細かく描かれてる。この曲は設定をかなり忠実に反映させていて、忠実すぎるがゆえに二次創作ではなかなかみたいタイプのテーマ付けかもしれない。

原曲の感情の摩天楼は白蓮のゲーム中の弾幕と同様に華やかな曲で、ブラック・ロータスから感じられないことはないけど原曲成分が薄いとおもうかもしれない。しかしこの曲で描かれているような境地を超越してああなったと解釈すると薄めの原曲成分すらも原作によせているかに思えてくる。

東方星蓮船はゲームとしては初心者には薦めがたい面がある。ベントラーシステムはランダム性が強くそれがゆえに緻密なパターン化が必要。好き嫌いは人によるけれども個人的には東方紺珠伝の次に苦労した作品だった。

 

 

Ⅴ 輝針「セイギノミカタ」(『奉』収録)

原曲: 輝く針の小人族 ~ Little Princess

☆21

①原曲アクセス ☆☆☆☆☆

②歌詞理解   ☆☆☆☆

③原曲想起   ☆☆☆

④創作度    ☆☆☆☆☆ 

⑤キャッチーさ ☆☆☆☆

 

東方輝針城の6ボス小名針妙丸及び東方輝針城そのもののシナリオをテーマにした曲。

針妙丸と5ボスの鬼人正邪の関係を理解していればより楽しめる、けどあまりここで解説しすぎてしまうと原作未プレイの人の楽しみを奪ってしまうので内容にはふれない。ただ、かなり忠実に曲にしている印象はある。

原曲について機械的に判断すると☆3だけど編曲を含めた雰囲気はかなり近くなっているから評価よりも近さを感じるだろう。

ちなみに、この曲で扱っていたテーマを反転させた曲として異聞『正義の味方』(『逆』収録)という曲がある。輝針城原作で針妙丸と正邪の関係を理解したうえで異聞のほうを聞くとより楽しめる。

 

 

 

凋叶棕国内初ライブの感想

待望の凋叶棕国内初ライブへ行ってきました。

このサークルはまたひとつ違うステージへ行ったんだなと感慨深くなりました。

 

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セトリ

 

東方うた祭り(https://www.uta-matsuri.com/)という東方音楽サークル7組が登場するライブイベント。

登場は2組目、歌った曲は3曲でした。ちなみに前日にセトリ予想をしたのですが全部外れでした。これはこれで珍しい。

ライブ明けで感情が昂っていたりするのだけど、せっかく新規が流入しうる機会なので感想抑えめにライブの感想をご紹介。

 

禁符「フォービドゥン・ゲーム」(『掲』収録)

フランドールの狂気な側面にフォーカスをあてた曲。メロディも歌声も不安定で、だからこそ切実さが宿る、そんな曲。

この曲の最大の特徴はサビの部分の壊れたような音程の叫び部分。凋叶棕のフラン曲のなかでも最も狂気的で、全曲でみても有数の音程の高さ。

原作の弾幕から解釈したフランドールの手のつけられなさを象徴したこの最大の盛り上がり部分で、U.N.オーエン原曲のメロディを主旋律ではなくバックに使う。これが凋叶棕というサークルの姿勢を端的にあらわしている。

 

私はセトリ予想では董子の曲を予想していたけれども、確かにフランも董子と同様に凋叶棕ではnayutaさんに当てられているキャラだった。だからフラン曲もありえるかもとは思っていたけれども、あるとしたらこの曲ではなくClosed Rain(奏)のほうかなと思っていた。

だってこの曲はあまりにも難しいから。

だからnayutaさんが登場してこの曲を歌いだしたときの正直な感想は「えぇ・・・」だったし、家に帰ってあらためてこの曲を聞きなおすと「これをライブで歌わせたのか・・・」となる。

それでも発狂部分で声がかすれることなく歌い終えたのだからこれはほんとにすごいことなんだと。聞き終えたときには凋叶棕もライブが出来るんだ!ということに確信をもてた。

 

この曲のフランドールの歌詞が気に入った人はぜひ「Ultimate;Nervous;Obscured;Weird;Egoistic;Nasty;Girl」というフラン曲もおすすめ。

『東方魔法少女 アルティメット☆れいむ』という合同アルバムが出典で入手は現状困難だけれども・・・。魔法少女というアルバムのコンセプトに逆説的にアプローチしていて、異色な正統派フラン曲。

 

鳥よ(『娶』収録)

上海で行われた初ライブでも披露していた曲。

ちなみにそのときの様子は

www.youtube.com

この動画でちらっとだけみることができる。

 

鳥よ、は凋叶棕らしい物語音楽の曲。

鶴女房的な男と鳥の異類婚姻譚、老いて死の床の前にかつて想いをよせた鳥があらわれて・・・的な話。

これはいくつか解釈できて、本当にかつての鳥が死ぬ間際だけ戻ってきたというロマンティック説、老いぼれのみた幻という辛辣説、そもそも鳥とそんな関係になかった虚無説とかいろいろ。

RDさんのなかで正解はあるかもしれないけど、聞く分にはどう解釈するかは受け手の感性に委ねられる、奥の深い作り込みが光る。ちなみに私は辛辣説派。

 

サビの鳥よ…鳥よ…の部分を観客とともに歌うというライブ的演出が試みられて、会場の結構な人数が凋叶棕を知らないと思われるなか結構うまくいってたと思う。

あと光の演出がよかった。サビでステージ全体をぱぁーっと照らして空をイメージさせる感じの。この演出で生歌を聞くと辛辣説派の私も少しロマンティック説派に心を動かされた。

 

「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」-History 3/3+‐

2曲目が終わって凋叶棕主宰のRDさんが登場してMCを挟んで3曲目。

MCではRDさんが、ライブは双方向のコミュニケーションでそれはそれで結構なのだけれど東方の二次創作なのだから”天”へ想いをむけなければならない、というような旨のことを言っていて、それを受けてのこの曲。

”天”がなにを指すか意見が分かれるかもしれないけれど、私は素直に原作のゲームを思い浮かべながらこの曲を聞いた。この曲は東方原作とそれをプレイする弾幕シューターを描いた曲だった。そういう意味では原作を介した双方向のコミュニケーションともいえる。

 

今回披露されたバージョンは新バージョンで、既存の2つは『』に収録されている。違うのは大サビの原作を歌った部分で、

History 2/3が紅魔郷から輝針城まで

History 3/3が小数点以下の派生も含めて紅魔郷から弾幕アマノジャクまで

そして今回のHistory 3/3+が深秘録、紺珠伝、天空璋、憑依華、ナイトメアダイアリー、鬼形獣までの既発売作品を歌った歌詞が追加されている。

 

新バージョンはありがたいことに公式でyoutubeとニコニコに投稿されているため、追加部分を拝聴することができる。

 

並べると感慨も深い、とひとことでは言い表せない。すべての原作をプレイしている人は東方を認知している人の中でも少数派だろうけど、すべてやっていなくとも惹かれるものがあるに違いない。

正直にいってしまうとライブ中は新規部分の歌詞はほとんど聞き取れなかった。あらためて聞いてみると大サビ部分はただ長くなっただけじゃなくて歌う調子も変化が入っててさらに鬼畜難易度になっている。3/3+を聴いたあとに2/3を聴くとすごくシンプル。

 

1曲目から客のほうが引いてしまう高難易度選曲、2曲目ではただ歌うだけではなく鳥よの部分を観客に歌わせる誘導、そして3曲目では長尺の新規盛り上がりどころと、最後まで無事に歌い上げたnayutaさんには敬意しかない。

3曲しかないと聞いたときは少ない!と思ってしまったけれども今回に関しては3曲でよかったというは確実にいえる。長年のファンからみてもとても満足のいくステージで、ひょっとしたら単独ライブも絵空事ではないのかもしれないと思わせてくれいた。

でも、もし単独ライブという機会があってくれたら複数のシンガーか間をつなぐRDさんの高速MCタイムが必要だと思う。生で聞くと曲の歌い手殺しっぷりがすごいから。

 

 

自由への賛歌

2012年の冬に岸田教団へ楽曲提供した曲、ライブイベント7組目としてトリを飾る岸田教団でまさかのお披露目。 2012年冬というと辿/誘と同じ頃だから結構昔の曲。

CDに収録されているのは完全版ではないらしく(このページに事情の一端がかかれている)様々な事情から完全版は永遠にお蔵入りしたと思っていたのだけれど、いつか完全版がなにかに収録される…かもしれない。期待しないで待つくらいはできるかもね。

 

というような事情でこれまでこの曲が話題になることはファンの間でもあまりなかったのだけれど、これはなかなかエモい歌詞の曲なのだ。エモという言葉が今より一般的でなかった頃に作られたのだけど、今日的なエモいという言葉がぴったり。

方向性は違うけれどThe Boogey Monster(眇)と並びうるエモさ。

今回をきっかけにいつかこの曲が日の目を見る機会があればいいなー。

 

その他イベントについて雑感

私は陰キャなのでライブはほとんど行かないし、まして今回のようなオールスタンド系のライブは初めてだった。同じような境遇の人の参考になるかもしれないので備忘録をば。

 

まずオールスタンドという環境は0か1の世界だということ。利益率を上げるために狭い空間にできるだけ人を押し込むというスタイルであるため、空間的にはかなり劣悪。

今回のイベントは15時開始で20時半終了の5時間半という長丁場で、はやめに行ってセトリを確認しない限りいつどのグループが出てくるかわからない。わかったとしても遅い登場の場合、いい位置をとったとしてもそれを死守しなければならない。ぎゅうぎゅう詰めの空間であるがゆえに一度出るといい位置には二度と行けないから。

ならどうやったらいい位置に行けるかという話になるが、早くにチケットを買うしかない。整理番号がついているから当日早くに行ってもいい場所はとれない。

ちなみに新宿ReNYという会場で私はA300番台というチケットで前から3列目くらいだった。見える景色という観点ではよかったけれども、途中で腰が痛くなって一回離脱した(だから自由への賛歌は入り口付近で聞いた)。狙うんだったら最前列しかない。そういう意味で0か1。よっかかる場所があるのと、前に人がいないのとで随分違うはず。A30番台くらいだと一番前に行けるかなー?

ずっと狭い空間に立っているから体も痛くなるけど他人の臭いも結構きつい。制汗剤噴射はやめたほうがいいけれども、小さいかばんに気分転換できる匂いを用意しておくといいかも。

 

終了後は物販と、並んでいなければ少しくらいはお話しする機会がある。当日に感想をいえる貴重な機会。意を決して部屋から這い出したなら最後まで味わい尽くすべき。その価値のある機会だった。

 

 

 

凋叶棕国内初ライブでやってほしい曲(願望)

きたる(きている)2019年11月16日は東方アレンジサークル凋叶棕が国内で初めてライブ(2019年博麗神社うた祭参加)をするということで、ライブでやってほしい・やるんじゃないかという曲を願望込みで考えてみる。提供曲は全部集めきれてないので外してますが、ありえるかという意味では普通にありえるかと思います(さよならダイアリーとか)

ちなみに初ライブは今年8月に上海で行われたということで、そのときは

とのことでした。

凋叶棕といえば重厚な世界観ゆえに曲が長い・音階が複雑・アレンジがバラエティーに富んでいると、ライブに向かない要素が詰め込まれているのだけれど、ついにその境界さえも越える存在になったということか。

この事実については嬉しさが第一、でもそれだけではない感情がある。

 

今回のヴォーカルはnayutaさん。

ニコニコ動画時代から活動歴が長く、凋叶棕のアルバムに参加される頃には5年を超えるキャリアがあると。

凋叶棕の参加歴でいうと2015年の『求』から、以降はほとんどのアルバムで参加があり、数でいえば最初期からのメインボーカルめらみぽっぷさんに次ぐ。

だから、持ち曲は充分過ぎるほどある。

ちなみに単独曲を並べている方がいらっしゃったので

privatter.net

 

こうしてみるとてぃあお頻出キャラの霊夢(なにいろ小径)、魔理沙(初番目物「龍人秘抄」)、アリス(少女人形)、秘封(いろいろ)と網羅している。あと頻出といえるキャラでやっていないのは早苗くらいかな。

 

まず個人的にやってほしい(願望)曲。

[SiO2]の瞳(娶)

ライブ向きとはいいがたいけれども、この曲の綺麗さは凋叶棕随一だと思う。整形的な綺麗さと不気味さ。nayutaさんの声がもっとも映えているのもこの曲だと思う。

この曲で会場を静寂に包んでほしい。

 

嘔吐、又(音)

完成度の高いアルバム『音』のなかでもとりわけコンセプトが極まっている、呪詛のような曲。これをライブで聞いたら、きっと脳髄に振動が残り続ける。

サビ終わり際の同じ言葉を違う調子で4回繰り返す部分なんかも生で聞きたい。

 

 

次にやるんじゃないかという予想曲

Ms.lonely hedgehog(密)

凋叶棕曲で明確にnayutaさんの領域として定められているのが宇佐見董子曲。董子曲で一番最初に登場したのがハリネズミのこの曲で、非常にシンボリック。

董子曲でいえば短くて勢いがよくてライブ映えするSpirited Awayもこれ以上ない悪意の塊である悪夢の果てに見るユメも捨てがたいけど、予想という意味でひとつ選ぶならこれかな。

 

少女人形(夢)

数ある凋叶棕アリス曲のなかで最もアリスを連呼するザ・アリス?曲。

実際に会場に来る人で凋叶棕を知っている人がどれくらいの率を占めるのかわからないけれど、凋叶棕がアリス曲をやるという事実自体で盛り上がる層がいると思うんですよね。

曲的にも印象よりも盛り上がる曲だと思う。

 

 

予想はしてみたけど特に当たることは期待していない。

だいたいのファンというのはそういうものだろうと思うのだけれどやる側がやりたいことをやってくれればそれだけでいい。

ついでに、記念すべき機会に私自身が現地に無事に辿りつければもっといい。

 

 

ファンタジア(+ゲキノウタ)感想 Feuille-Morte

ーすべての語り手たちを戒めるため

(ブックレットより)

 

RD-soundsという方の主催するFeuille-Morteという音楽サークルがコミックマーケット96(2019年夏)で発売した「ファンタジア」というオリジナルアルバムについて

そして同サークルがコミックマーケット94で発売した「ゲキノウタ」というオリジナルアルバムについて

構造がとても複雑。もしこれから聞く人がいたら、

ファンタジアのCD → 付属の小冊子 → ゲキノウタのCD

の順がおすすめかもしれない。記事もその順番で紹介してます。

 

公式ページ

www.feuille-morte.com

www.feuille-morte.com

 

大きな目次

ファンタジア

世界と物語 -カトカ・エリオーシュの世界ー

ゲキノウタ

結び

 

 

ファンタジアについて

ファンタジアはロベルト・ドーソンという劇作家の遺稿『ファントマ』を音楽として表現したものという位置づけになっている。

この多層構造については後述するとして、劇(あるいは遺稿を基にしたこのCD)であるファンタジアは、《ファントマ》たる怪人が各幕の女性たちの物語に介入する形で展開される。

歌詞の書き方がまさしく劇という形で、それぞれの登場人物のセリフになっている。この形式はかなり音作りにも影響していて、曲の多様さを売りにするRD氏の作品のなかではかなり統一性がある。

 

演目は

*. 最後の犠牲者へ st.めらみぽっぷ)

序章 怪人 st.めらみぽっぷ

第一幕 或る幸せの帰結 st.nayuta

第二幕 羊の夢 st.ランコ

第三幕 踊れオフィーリア st.中惠光城

第四幕 月だけがみていた st.葉月ゆら

第五幕 失われし氓 st.Φ串Φ

第六幕 分かたれた命 st.藍月なくる 

終幕 ファントマ st.上記全員

 

 

序幕 怪人 

「私は、美しきものたちを救いたい」

 

劇ファンタジアの主役といっていい《ファントマ》の一人語り。

演劇でよくある登場人物の自己紹介パート。美しきものたちを救いたい、という目的を高らかに宣言するので、限定されるのかと思ってしまう。

この点はこの怪人そのものの欲望なのか怪人を創造した存在の欲望なのか、やや悩ましいところ。いずれにせよ、返す刀で斬られそうな傲慢さ。

 

 

第一幕 或る幸せの帰結

「その声は神の言葉」

 

籠の中の鳥というのを体現したかのようなエレノアという少女の曲。

父がすべての力を注ぎこんで幸せでいさせようと、幸せを押しつけられる。その幸せは様々なものの犠牲のうえに成り立つとしても。

富裕な家の子息が自分の家に反抗するというプロット自体はもはや古典といっていいやつだけど、怪人により父を殺されて悲しいと思い知るのがなんともいえず素敵。

やや先どりして述べてしまうが、カトカ嬢も父親から離れたときは悲しいと感じて泣いたのだろうか。この曲が最もカトカ嬢と重なるため、そういう面でも興味深い曲になっている。

 

曲調もあわせてこのアルバムで一番好きな曲。

「いかなる手立ても以ってあの娘の↑幸せを」という力強さとか

「さあ笑いなさいな ↑お飾り姫」の自嘲的な響きとか

音の面でもすごく癖になる。

 

 

第二幕 羊の夢

「柵の中でも 夢見る羊もいるのに」

 

牧場で生まれ一生羊を飼うことを運命づけられているビアンカという少女の曲。

意地悪爺という存在が示唆されているけれども、ビアンカの人生の狭隘が経済的な理由に基づくのか文字通り意地悪によるものなのかは曲のなかでは明らかにはならない。

 

牧場だけで育ちながら遠い世界を見てみたいという欲望を持つものなのだろうか、遠い世界にアクセスできる時代なのか、その欲望は誰かに植え付けられたものなにか。

 

「邪魔立てするものは……もはや羊以外、いないだろう」とい怪人の語りも少し気になる。牧場に閉じ込められるのは嫌だけれども羊に対しては愛着があるのだろうか。

それとも羊にはもっと他の意味があるかもしれない。歌詞カードには羊の絵(かわいい)も描かれていることだし。

 

 

第三幕 踊れオフィーリア

「貴方もきっと同じなの 生き方を選べはしないのね」

 

酒場で踊り続けるしか生きる術がないオフィーリアという少女の曲。

「金貨の重さの分だけ」という表現から借金のかたとして売られたのだろうか、描写的に明確ではないけれども、酒場は売春宿的な場所なのかもしれない。

 

そんな彼女が望んだ裁きは、金貨を積み上げる男だけではなく酒場にいる大勢。踊れと囃したてるすべての人間が彼女の人生の狭隘であり、彼女の世界そのものが敵。そのすべてを血の海に沈めてみる夜明けの光はさも強い光なのだろう。

しかしそうして脱け出した先でも彼女はやはり踊るのだ。うーん。

 

上に引いた「貴方」というのは怪人のことだと思われる。怪人も生き方を選べない、美しいものを人生の狭隘から救い出すという生き方も選べたわけではないということか。

それを見抜くのがオフィーリアということは、こんな酒場での人生でも前曲二人と比べて世界との関わりは多少なりとも広かったということなのかもしれない。

 

 

第四幕 月だけが見ていた

「私ねこの人に恋していたのよ たとえ何か他のものを目当てにしていても 関係ないくらいに」

 

恋に恋している、多くに恋をしたいと思っている少女アメリの曲。

この曲はいろいろと謎が多いと思う。まず対象の男がすでに怪人に屠られている。

アメリの言動をみるに、小さな町で出会った良人と結婚するはずでそれも自分を納得させていたはずなのに、月夜に魔が差して怪人に殺させてしまったということだろうか。

 

前までの3人の少女と比べてアメリは明確な憎しみがないように感じる。あるいは殺害の動機というべきか。本当にふっと”恋多き恋に生きる自分”に思いをはせてぱっとやってしまったような。だから、アルバムのなかですごく異質。

アメリが気ままに踊ってるような情景が浮かぶ、途中の支離滅裂な言動も、意味はわからないけど歌っている様子はわかってしまう。怪人は添えるだけって感じ。心なしか最後の語りでは距離をひいてみてるよう、他の曲と比べて語り口調に温度差がある。

 

 

全体的にふわっとした感想になったけど、この曲はスルメだと思う。

何度も聞いてるとすごく良くなってきた。 アメリというキャラの魅力が感覚でわかってくるのだ。

 

 

第五幕 失われし氓 

「けれど誰一人として神の言葉を聞きもしない」

 

先祖代々から続く信仰をもつ砂漠の民の一人であるサティの曲。

氓という漢字が「たみ」で変換できることをはじめて知りました。

 

砂漠という過酷な環境を生きるためにいつか辿り着く最後の地の存在を信じ祈りを捧げる、いわば逃れられない現実を受容するための信仰。その信仰を疑ってしまったがゆえに怪人の力を借りて長を殺し一族から離れる。

あるいは、サティはある意味では信仰に忠実だったのかもしれない。信じているからこそ神の存在を疑ってしまった。

それでも結局はどうみても神にはみえない怪人に縋ることになる。それはそれで新たな苦しみを負わせてそう。

 

 

第六幕 分かたれた命

「わたしの大切なあなた」

 

片方は守るもの片方は選ばれるものという役割のルイーゼとロッテ姉妹の曲。

めぐり会った男がロッテを選んだことでどうあっても選ばれないことに絶望したルイーゼがロッテを怪人の力を借りてめちゃくちゃにする。

 

ルイーゼは「私の大切なロッテ」といいロッテは「わたしの大切なあなた」という。ここに関係の非対称性がある。可哀想なルイーゼの立場からみるとなにもかも選ばれてもっていくロッテはなかなかの性悪にみえる。

ロッテの心情は曲からでは掴み切れないけれども、ルイーゼの「あなたは幸せになって欲しいの」という言葉をそのまま真に受けてた可能性もある…さすがに無垢さを信じすぎだろうか。

 

教会の鐘がルイーゼの一番聞きたかった音、というのはどういうことなのだろう。想い人に選ばれて教会で自らが結ばれたかったということだろうか、それにしては男の話が出てこなさすぎる。

感情がロッテに向いている執着している、そうするとロッテがいるなかで自分が選ばれたかったのかもしれない。

いずれにせよ、ルイーゼが一番聞きたかった音は怪人の介入があっても聞けないまま。可哀想なルイーゼ。

 

どの曲もすごいけど特にこの曲は歌っている藍月なくるという方がすごいと思う。

姉妹の歌い分け、激高、呆然とした「鐘が鳴るよ」

 

 

終幕 ファントマ

「最良の脚本を 最良の、人生を」

 

前曲までの6人の少女と《ファントマ》たる怪人の対峙。

脚本によれば、怪人は役割を亡くし意思を亡くした少女たちに新たな役割を背負わせようとする。美しきものを人生の狭隘から救い出すことを目的としていたはずの怪人が、あらたな狭隘を背負わせる立場になる。

少女たちは怪人に従う。怪人は未だ為すべきことが残っていると語り、全ての語り手へ警告する。そして舞台の幕は閉じる。

 

ところが、歌では少女たちは怪人の手を除け、自らの創造主へ感謝を述べる。機械仕掛けの神が突然降りてきて彼女たちに突然意思を授けたかのよう。それは創造主の意思を超えた怪人への救いなのか、欺瞞がみせる幻想家。

 

これは一体誰が語った物語なのだ?

 

 

*. 最後の犠牲者へ

「最良の脚本を 最良の、人生を」

 

CD上は1曲目に入っているのだけれど、位置づけとしては終章まで聞いてからリピートで聞いてみるとしっくりくるかもしれない。

これは誰が誰に歌った曲かというと、たぶん劇作家ロベルト・ドーソンが自らが創造したキャラクターである怪人へ歌った曲なのだと思う。声は怪人と同じめらみぽっぷさんであるけれども歌い方は区別をつけているから。

 

この曲はファンタジアのCDに付属する小冊子と、公式に序章と位置付けられているゲキウノウタをあわせてみることでだいぶみえてくる。

ただ、せっかくだから予備知識なしでこの曲をみたときの感想もかいてみたい。

 

劇作家が怪人に与えた役割は主役で、「力を持つ影」として演じきることを求めている。最後の言葉として。まるで呪いのように強い言葉。

一方で「お前だけは 誰にも代役わらせない」とも表現している。他のキャラクターたちは代替が可能でもその最後の犠牲者だけは代えられない。それはもう作者の分身そのものといえるのではないか。

作家が作品に自らの魂、存在をこめる。自らそのものであっても、物語のなかではキャラクターでしかなく、限りなく自分に近くとも自分とは違う存在に語らせなけらばならない。だからこそ物語はときに作者の意図をこえた意味をもつ。

他の存在に仮託して自分を語らせること、その暗い歪み。この曲を聞いて思ったことはそういうことだった。

 

 

世界と物語 -カトカ・エリオーシュの世界ー

 

ファンタジアのCDについてくる小冊子。

驚いたことにこれは歌詞カードを補完しているとともにこれそのものがひとつの作品として独立している。

小冊子は、ファンタジアの作者ロベルト・ドーソン、本名カトカ・エリオーシュの作品郡のもつ世界を、イルヴァ・コリンスカーという人間が絵画として表現して展覧する、その展覧会の小冊子として位置づけられている。

ロベルト・ドーソンの人生や人間関係を取材したうえでファンタジアの各曲を絵で表現する、二次創作なのだ。

小冊子ではカトカ・エリオーシュが生前ロベルト・ドーソンという仮名を用いていたこと、彼女が死んだとき未発表の遺稿ファントマの怪人に殺されたかのように背中にナイフを突き立てられて死んだこと、広告作家である父と思想上の大きな軋轢があり家を出奔したことなどが語られている。

そして、そうした情報をふまえたうえでのイルヴァの解釈が巻末に書かれている。

 

注意点として、この小冊子は二次創作であるということだ。解釈違いが生じうるし、それを許容する作り方になっていると感じた。

例えば、小冊子の第六幕分かたれた命の絵は、ルイーゼが自らの手でロッテを殺害している。一方で、ファントマの脚本のほうはルイーゼは怪人に「あいつを! めちゃくちゃにしてやってよ!」といっているけれどもルイーゼ自身が手を下したという表現はない。イルヴァの解釈を介しているわけだ。

だから、ファントマを、カトカの父を含めた目的のためにキャラクターを設計する全ての語り手たちを戒めるための復讐、とする解釈にはもちろん疑問を差しはさむ余地がある。

正直8割くらいは私自身が感じたことと同じだったけれども、すべてに納得したわけではなく「本当にそうなの?」という違和感はあった。

なんにせよ、もうひとつの資料、ファンタジアの序曲であるゲキノウタも併せてみるべき。

 

ところで、この小冊子で使われているはカトカの幼い頃の肖像画であるけれども、父親と袂を分かった後の世界を題材にしながら父親の庇護の下にいたであろう時代の絵を前面にもってくるのはなかなかに性質が悪い。そういう面からも、イルヴァ・コリンスカーというキャラクターを全面的に信用したくないというのもある。

 

ゲキノウタについて

 

ゲキノウタはファンタジアの1年前のC94(2018年夏)に世に出ている3トラック構成のミニアルバムである。

しかし、幼い頃のカトカ・エリオーシュが歌詞カードに出ており劇作家もロベルト・ドーソンと似た風貌になっていることから、ファンタジアとはストレートに繋がっているとみていいだろう。

 

曲目は

1. 名前の無い男 vo.頼経遥

2.  「劇」 st.頼経遥

*. 『劇作家』の独白 vo.めらみぽっぷ

 

 

1. 名前の無い男

「それがなぜ 行き過ぎた望みであるはずがない!!」

 

役割を与えられる前の怪人の歌。あるいは役を与えられる前のキャラクター一般の曲なのかもしれない。

失ったのかはじめからなかったのか、男は役を与えられなければ声を出すことすらできない。役を与えられ言葉を発し世界に存在すること、それが過ぎた望みであるはずがない。

失ったという可能性。最初は役があったのだとすれば、『劇作家』の独白も併せて考えるなら駄作として役をはく奪されたということなのだろう。

そしてキャラクターの声が聞こえたというカトカは、この曲のような叫びが聞こえたのだろうか。叫びを聞いたゆえに、それが真に迫っていたがゆえに最後の犠牲者へとしてしまったのだろうか。

名前の無い男ははたしてそれほどまでに重い呪いを受けることまで望んでいたか、気になるところではある。

 

 

2. 「劇」

一言の短いトラックだけれども、言葉を発することができなかった男が声を発したことから、役を与えられたということがわかる。

 

 

*. 『劇作家』の独白」

「そう呟く言葉 空々しく」

 

カトカとファントマにまつわることを理解して聞くとすっとくる曲。

一方ですさまじい自己矛盾をはらんだ恐ろしい曲。

 

目的のためにキャラクターを設定し駄作であれば打ち捨てる。それはカトカのみていた父の姿であり、父がカトカに対してしたかもしれないことだった。

だからこそ駄作達とともに語り手に反逆する。それがカトカの思想だった。

 

けれどもファンタジアを聞くとカトカが怪人に対して行ったこともおのれの思う役目を与えることだし、怪人を通してキャラクターを自由にしようとする試みも同じであったといえる。

だから、これは物語を創作する人の原罪なわけだ。例え原罪に自覚的であったとしてもそこから逃れることはできない。

 

ゲキノウタとファンタジアを通して聞いたときに感じたのがこの袋小路感。創作という手段を使って物語の世界にいようとするなら、キャラクターを自分の思うがままにするという傲慢は避けて通れない。目的のためにキャラクターを設計しようがキャラクターに人生を見出そうが、最終的に同じところに行きつく。

だからこそ、カトカは物語の外に結末をつくるしかなかったのではないか。怪人が全ての語り手達の後ろにいるという現実をつくりだす、あたかもキャラクターが自らの意思をもって存在しているかのように。

怪人が実際に存在しているかどうかはともかくとして、この試みによりカトカは世に名が知られて他の創作家の題材とされるに至った。自分が物語の中の存在となった。

これが彼女の望んだ結果なのかどうかはわからない。私は、ただただ業の深さを感じるだけ。

 

 

結び、ファントマとファンタジア

 

今回の作品を聞いてみた印象、狂気的ということ。

歌詞カードの他に小冊子が付属しているという豪華さ、その小冊子さえもひとつの創作品として成立しているという凝り方、そしてなによりキャラクターを自在に動かす創作そのものの業の深さというテーマの重さ。そのテーマが自分の背中に返ってくる自己矛盾。

内容的にも作風的にも人を選ぶかもしれないけれども、気構えなくとも多くの人が作り手としてキャラクターを動かすことができるようになった時代なので、私が感じたよりは刺さる人が多いかもしれない。

かくいう私はちょこっと創作はしたことがあるのだけれど本腰を入れてしたことはまだない。だから、このアルバムの魅力を本当に理解できているかは怪しい。本当はもっとファントマに感情移入をしたほうが楽しめるのかも。

そう考えると、創作の罪深さを描く今作は実は創作への誘いだったりして。昏い笑みを湛えながら地獄から手招きをする、そういう類の誘い。

 

最後に残った大きな疑問として、このファンタジアというアルバムそのものの位置づけがある。劇の題名である『ファントマ』を名に冠するのではなく、作中に一度も出てこない『ファンタジア』という題名がつけられている。

fantasiaという単語は直訳すると幻想曲という和訳になるらしい。あえて別の名前を冠した点に注目すれば、このアルバム自体をイルヴァによる「世界と物語」と同じ位相の、劇ファントマの世界を題材に音楽にした二次創作ととらえることもできよう。

セルフ二次創作、狂気を感じる入れ子構造。

そうすると、終幕ファントマの解釈も変わる。この曲に救いを感じるのか気味悪さを感じるか、私は後者を感じました。

 

 

 

娶(めとり) 感想 凋叶棕

everyone is ー alien to me

(CDの英文より)

 

RD-soundsという方の主催する凋叶棕という音楽サークルがコミックマーケット95(2018年冬)に発売された「娶」という東方アレンジアルバムについて

 

公式ページ

http://www.rd-sounds.com/c95.html

 

曲目は

1. 祝言 cho. めらみぽっぷ

 原曲:童祭 ~ Innocent Treasures(夢違科学世紀)

2. あの日のサネカズラ vo.めらみぽっぷ

 原曲:今昔幻想郷 ~ Flower Land(東方花映塚)

3. ??の花嫁 

 原曲:平安のエイリアン(東方星蓮船)

4. 伴に歩くその心 vo. ランコ

 原曲:華のさかづき大江山(東方地霊殿)

5.  ミノキチグリーフシンドローム 

 原曲:クリスタライズシルバー(東方妖々夢)

6.  meaning of life vo.めらみぽっぷ

 原曲:封じられた妖怪(東方地霊殿)

7. モノガタリの裏側 

 原曲:ネクロファンタジア(東方妖々夢)

8.  [SiO2]の瞳 vo.nayuta

 原曲:衛星カフェテラス(大空魔術)

9. T/A/B/O/O vo.めらみぽっぷ

 原曲:山奥のエンカウンター(東方天空璋)

10.  創られゆく歴史 

 原曲:プレインエイジア(東方永夜抄)

11.  蛙姫 vo.めらみぽっぷ

 原曲:明日ハレの日、ケの昨日(東方風神録)

12. 鳥よ vo.nayuta

 原曲:風神少女(東方風神録)

    風の循環 ~ Wind Tour(東方文花帖)

13. 東方人妖小町 vo.めらみぽっぷ

 原曲:東方妖怪小町(東方永夜抄)

   

 

娶は「異類婚姻譚」という異色なテーマを据えたアルバム。

一般的に異類婚姻譚は伝承や説話という形であらわれる。最も有名なのは鶴の恩返しだろうか。どのような文化がその話を産み出したのか、そこになにかしらの教訓を見出すべきなのか、広く研究されているところである。

本作品においての「異類婚姻譚」は、一言でいえば「人間」と「妖怪」の在り方とその関係性としてあらわれている。それは必ずしも婚姻という形式であらわれるとは限らず、より広い「共生」というほうがニュアンスとして近いかもしれない。

東方projectにおいてフューチャーされるキャラクターのほとんどは少女であるが、幻想郷という空間にはそれ以外の存在もいる。作品に出てくるキャラクターの背後にある世界の構造を深く掘り下げる試みということでかなり意欲的な作品になっている。

 

音的には、いわゆる和風のアレンジがかなり強調されている。インストは完全に和風統一。

マルチジャンルを謳う凋叶棕においてここまで音に”色”が出ているのは初めてなのではないだろうか。それだけ今回のテーマは意識して作りこんでいるということなのだろう。

 

現時点(2019年初頭、発売から1週間くらい)では感想を書いていてよくわからないところも多いし、他の人の考察も読みたい段階ではある。異類婚姻譚自体への理解が浅いというところもある。

ので、考え方が変わったりしたら更新していこうと思ってます。

 

 

 

 

 

 

1. 祝言

「行く末永く うつろうことなく」

原曲:童祭 ~ Innocent Treasures(夢違科学世紀)

 

Chorusという見慣れない表記が目を引く1曲目、歌詞カードに歌詞の表記はない。

祝言という題名、聞こえる歌詞からおぼろげに想像するに神社での婚姻の際の祝詞ではないかと思われる。

「かしこみ」をGoogleに打ち込むと予測変換に祝詞が出てくる。恐(かしこ)み恐みも白す、とは神職が奏上するう祝詞の結尾として一般的なもののようである。

神社で「恐みも申す」というときそれは一般的には祀られている神、あるいは八百万の神とそれに象徴される万物が対象である。しかし、信仰心の薄い現代人としては婚姻においてはなによりも目の前の相手がその対象と思ってしまう。

祝いと呪いは紙一重ということで。

 

平成も終わる現代では、結婚式は形式として割り切って日頃信じてもいない神の前で永遠を誓う層が大半だと思うけれども、もしも信仰心があったなら自分が信じている神の御前で永遠を誓ってしまったらそれを破るのは信仰を捨てるのに近いのだろう。

そうでなくなったのは幸か不幸か、ともあれ今作はそういう幻想入りした婚姻像も片隅にイメージしておくといいかもしれない。

 

博麗神社ソングということで望の「博麗神社演舞奉納神事」と併せて聞きたいトラック。

 

 

2. あの日のサネカズラ

「けれど今 あなたはここにいることはない」

原曲:今昔幻想郷 ~ Flower Land(東方花映塚)

 

凋叶棕ではいつも泰然としたポジションにいる風見幽香ソング。

幽香と花、これも異類といえる。花が枯れ種が芽吹きまた咲くというサイクルを伴にするのはケッコンということもできよう。

歌詞を表面的にみれば幽香と花の在り方だけれども、子孫をなして死んでいくという点で花を「人」としてみて人妖の関係というふうにもっていくこともできる。というよりもそういうふうにも読むべき歌なのだろう。

 

妖怪の視点でみると80年程度で一生を終える人間は、個人として認識することは困難で種族単位でしかみれないのかもしれない。霊夢が「博麗の巫女」として認識されるの同様に。

でも、花と同じく短いがゆえに彩りというのもきっとあって、それがこの曲では音で表現されていると思う。主旋律は大きな起伏があるわけではないけど、背後のメロディはとても鮮やかなのでヘッドホンで聞くべき。今昔幻想郷のメロディが後ろで盛り上がってくその様を。

 

 

3. ??の花嫁

原曲:平安のエイリアン(東方星蓮船)

 

平安のエイリアンといえばおどろおどろしい曲。よくわからないものの曲。

だけれどもこのアレンジはかなり穏やかに始まる。全体を通しても完全に安らげるというわけではないけれども原曲から比較するとゆったりしたアレンジに感じる。

花嫁とついてるので結婚したての本気を出してないイメージなのだろうか。そう想像すると逆に結構漏れ出てるものがあると思ってしまうけれど。

「恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる」という格言があるけれども、途中ちょっと視力が戻りかけてるかもしれない。

 

 

4. 伴に歩くその心

「いづれか音をあげる 一世一代限りの根競べを」

原曲:華のさかづき大江山(東方地霊殿) 

 

嘘と慟哭(綴収録)以来の鬼曲。そのときもランコさんがボーカルだった。鬼担当?

勇儀は東方にあって二次創作でもキャラがぶれにくいキャラで、この歌もストレートにかっこよさが表現されている。

人と鬼の間に隔てる壁をもろともしないような力強い言葉、これはきっとプロポーズですね。即堕ちものですよ。

力強く引っ張ってくれるだけでなく、その先に待つ厳しさも”優しく”教えてくれる包容力。

 

こういう関係も人と鬼であるがゆえに嘘と慟哭で描かれるような結末を迎える、というのが冷徹で悪趣味な解釈。

それでも勇儀の場合は、そんな結末を迎えてもまた人とこういう関係を結べる強さがありそう。それくらいの力強さ。

 

 

5. ミノキチグリーフシンドローム

原曲:クリスタライズシルバー(東方妖々夢)

 

クリスタライズシルバーという横文字の原曲がここまで和風になるのか、と驚くアレンジ具合。この曲も横文字だけれども。

文字だと表現しづらいんだけど、50秒すぎからはじまるたたったたー、というリズムがとても癖になる。

 

昔語り感のあるアレンジと同様、雪女の伝説は日本各地に数多ある。 

そのなかでも知名度がある小泉八雲の「雪女」には巳之吉という少年が出てくる。これがきっとミノキチだろう。

小泉八雲の「雪女」は青空文庫のページで読むことができる。

粗筋をいうと、巳之吉という美少年は18のときに雪女に遭うが誰にも話さないことを条件に見逃される。翌年雪女にそっくりなお雪という女性と会い、結婚し、二桁を超える子供をつくり、老いたあとにふと雪女の話をすると、お雪は自分がそのときの雪女だと告げ子供がいることを理由に巳之吉はまたも見逃され雪女は消えてゆく、という話。

数々の説話と同じく、この話も自分がはじめに抱いた感想をはっきりした形でいうのは難しいのだけれど、あえていうのなら吹けば飛ぶんだなあということ。

あらゆる関係性は明示黙示問わない様々な約束事の上に成り立っていて、それが末永い関係であっても雪のように吹けば飛ぶ。

雪のように冷たいのは吹くほうか、飛んでしまうほうか。

 

  

6. meaning of life

「それが愛かね?」

原曲:封じられた妖怪(東方地霊殿)

 

騙の(I'm gonna eat you up !)を思い出す捕食曲。そこはかとないエロさがある。

歌詞で語りかけているの黒谷ヤマメだろうか。ヤマメの言うことを信じるならば、捕食された方もそれを望んでいたということになる。

曲調的にじめじめ鬱屈した情念を感じるけれども、それは捕食されるほうの片思いにすぎない。捕食する妖怪からすればまさに「あなたは今まで食べてきたパンの枚数を覚えてるの?」というわけで、薄暗い情念を抱かれてもへぇ?で終わる。でもそれが自然的な人と妖の在り方。

だから、ボーカルのめらみぽっぷさんの「そんな無茶なやり方で」のほんの少し嘲笑うような歌い方が最高なのだ。「そwんな」って感じの。

 

捕食曲ではないけれども好んでやられるという点では徒の二色蝶を思い出す。あのブックレットの霊夢よりはヤマメは”妖怪”な顔をしているけど。

このテーマには少し性癖を感じますね。

 

 

7. モノガタリの裏側

原曲:ネクロファンタジア(東方妖々夢)

 

これはもう次の曲の前振り以外の何物でもない。

悪いことが起こる前触れ。

 

1分45秒くらいからの旋律がすごく好き。

 

 

8. [SiO2]の瞳

「ー誰だって皆 朽ちていく。 心の中でさえ。」

原曲:衛星カフェテラス(大空魔術)

 

今作で一曲推すとするならこの曲。とても幻想的なメロディーだから。ずっと聞いていられる。

 

まず異類婚姻譚というテーマで人間(たぶん)二人の秘封倶楽部が出てくるという時点でろくなことにはならない。試聴時は紫とメリーの関係性に新しい視点が加わるのかと思ったけど、違った。

 

この曲は終始「」で区切られた蓮子の語りとして歌詞が記載されている。そして「メリー?」と尋ねたあとのセリフは【】で区切られている。

また、ボーカルはnayutaさんソロとなっている。凋叶棕の秘封曲は役割がはっきりしていて、メリーがめらみさんという部分は崩していない。だから、【そうね、わたしもそう思うわ】と返しているのはメリーではないとはっきりいえる。

蓮子がメリーを模した完璧な存在を造ってしまったというのが普通の解釈だろう。不気味の谷という用語が使われていることも解釈の理由となる。人に近すぎて嫌悪感を抱く領域を跨いだ先にある、人間のような存在。

 

SiO2は二酸化ケイ素であるが、音ではガラスと歌っている。

二酸化ケイ素を規則的に並べると石英で不規則に並べるとガラスになるらしいのだが、不規則に並べた結果完璧な存在になるというところに神秘を感じる。

蓮子がなぜこのような所業に及んだのかはわからない。メリーになにかしらがあったのか、メリーが存命なのにこうしたのか。

しかし、歌詞中の蓮子はとても幸せそうといえる。ガラスの瞳を覗き込んだら映るのは自分の姿であろうが、その何もかも凍てついた姿が安らかになったというのだから。

なぜこの曲が異類婚姻譚なのか、人間とガラス。有機物と無機物。心の中に留めおいたとしても記憶は朽ちていく。永遠の感情を誓うならその対象も永遠たらしめようとするのは、永遠というものに対して誠実といえるのかもしれない。

 

この曲が歌う状況がどんなに奇妙でも、衛星カフェテラスの旋律と宇宙を感じるアレンジが押し流してくれる。ワンダリアのException()もそうだけど、個人的にこういう系統のアレンジはそれだけで良くなっちゃう。

 

この曲でひとつ分からないのは、1回目のサビの〇の彼方というところ。文字がいまいち読めないのだが閾でいいのだろうか。境界刺激という意味的にはありそうだがいき、しきいという音は違う。他の人の考察も見てみたいところ。

 

 

9. T/A/B/O/O

「ぼくはすすんで、耳を塞いで、ただ寝て居たいよ」

原曲:山奥のエンカウンター(東方天空璋)

 

異類婚姻譚メタ読み歌。

多くの異類婚姻譚は相手が人ならざるものであることについて気づかないままでいることを要求し、人間がそれを破るという構造になっている。例えば鶴の恩返しを読んでると、せっかく素敵な娘ができたんだから見るなといわれたら見なければいいのに、という素朴な感想。

じゃあ見ないようにしたらどうなるか、というのがこの曲。

コメディチックで曲調も軽快だけど、当人しかわからない緊張感と切実さがある。こうして描かれてみるとこの緊張感が永遠に続くのはきついかもしれないね。

 

「見るな。知るな。疑うな! 訊くな。探るな。理解るな!」の一節は絶対的一方通行を思い出す。秘封曲をトラック続きで歌詞カードも見開きになっていることから、両者は対比されているのだろう。

この曲はこの一節はそっと囁かれるように歌われているのもポイントだと思う。厳しく禁じられるほうが破ってしまいたくなる。

でも実際どうでしょうね。現代的にいえば結婚相手が浮気してるかもしれないときに携帯を覗き見るかどうかみたいな。物語的には見ないと始まらないけれども、現実は一生見ないという選択をする人もそれなりにいるかもしれない。

私は見る派だけれども。知るために見るけれども、それは「聖域」から遠ざかることかもしれない。

 

 

10. 創られゆく歴史

原曲:プレインエイジア(東方永夜抄)

 

とてもすがすがしいメロディで前二つの曲がリセットされる。ある種超越的な視点というか。

「創られゆく」というネーミングがとても含蓄深くて、一般的には異類婚姻譚は人間が語っていくものなんだけれども幻想郷の場合はどうだろう。

幻想郷で歴史に関わる存在といえばこの原曲の上白沢慧音、人間よりの立場であるとはいえ慧音は半人半獣で、その彼女の残す「正しい歴史」とはどういうものなのだろうか。妖怪に近づくべきでないと異類婚姻譚を否定するのか、成功するための秘訣例えば禁忌に近づかないことを教えるのか。

どちらも近づかないことが重要。

 

 

11. 蛙姫

「されどその姿は蛙の姫とぞ」

原曲:明日ハレの日、ケの昨日(東方風神録)

 

試聴段階からこの曲は怖かったけどやっぱり怖かった曲。怖いというよりおそろしい、恐み恐み。

これは洩矢諏訪子が人間の夫を迎えたときの話だろうか。諏訪子が早苗の遠い先祖というのは公式設定だし、CDを外したバックインレイの絵に早苗が描かれているということはたぶんそういうことだろう。もはや昔話を超えた伝説の域の時代の話である。

バックインレイ絵といえば、他は登場キャラが描かれているのに諏訪子曲だけ早苗なのは非常に大きい意味がありそう。わからないけど。

 

この曲は、まず絵がすごい。蛙の眼をしている。爛々としている様の綺麗さと不気味さ。

歌詞もなかなか。「長き夜の戸を開けるまで」とか「望みを果たすがいい」とかストレートに夫婦の契りを要求しているのだけど、それを果たしたら存在ごと喰らわれそう。実際、この曲は性行為そのものというよりは王国の繁栄のための子孫を要求している。

 

そうして築いた王国も神奈子の侵攻によって変質してしまうという未来。

それでもその血筋自体は早苗に繋がっている。

蛙姫との異類婚姻で生じたこの2つの結果をどのように受け止めようか。

 

 

12. 鳥よ

「わたしだけがそれを受け入れられずに」

原曲:風神少女(東方風神録)

   風の循環 ~ Wind Tour(東方文花帖)

 

 

非常に感傷に訴えかける歌詞とメロディ。まさに人間側の物語。

この曲はロマンティックに解釈することができるしそちらのほうが素直だと思うのだけれど、私はどちらかといえば妖怪よりのメンタリティなので、最初に浮かんだそちらよりの感想を書きたいと思う。

気分を害してしまったらごめんなさい。

 

 

鳥と異類婚姻譚というとやっぱり鶴の恩返しだろうか。こちらは若い男を主役とする鶴女房感があるが。

「唐突すぎる終わり」というのは鳥の姿を見てしまったからだろうか。禁忌を破って「わたしだけがそれを受け入れられず」と今際の時まで引きずるのは人間らしい。

実際のところ、この老人の見た鳥がそのときの鳥だとは思えない。絵では射命丸文らしき人物が描かれているが、天狗としてのドライさをもつ彼女が描かれていることで、死に際の老人が自分の見たい幻を視ただけなのかもしれないと思ってしまう。

天狗の表情が描かれていないというのもミソで、単に翼をもつ存在の象徴なのかもしれない。その表情は冷淡かもしれない。 

風の循環という日常感のある原曲が使われていることかこの光景自体も幻想郷のよくある光景かもしれない。

 

人間は異類婚姻に幻想を持ったまま逝き、妖怪はそのまま日常を生きる。こんなに捻くれて解釈しても成立するのだから物語の懐は深い。

 

 

13. 東方人妖小町

「だれもしらない なにもしらない けれどひとはいきていく」

原曲:東方妖怪小町(東方永夜抄)

 

人と妖が「共生」してる幻想郷をストレートに生々しく描いたラストトラック。

試聴コーナーではロングversionでさえ途中から始まってたから、この曲を初っ端聞いたときはあまりにも闇で始まってびびった。

 

ジャケットに写っているのは望の童遊の子だろうか。幻想郷の象徴として描かれているのかもしれない。

町行く者たちは人も妖も入り混じっている。たぶんこの子も異類婚姻をどこかで経た子供なのだろう。諏訪子が早苗の遠い先祖であるように、この町中を歩いている妖怪がこの子の先祖であるかもしれない。

でもそんなことをこの子は認識しないし、祖先たる妖怪のほうもこの子に気づかないだろう。それが「決して理解らぬ者」と「決して続かぬ者」が共生することの意味。

時に異類婚姻によって人の血が続いていく、異類婚姻が妖怪への幻想を増幅させて妖怪の力となる。誰もがそれを知っているけど自分がなにからできているのか、なにを産み出したのか、それは知らない。

人も妖も違いなく誰のこともわからない、まさに「everyone is alien to me」というわけである。

 

素晴らしい世界観だと素直に思う。異類婚姻自体は禁忌的に捉えられることが多いけれども、それが暗黙に存在して幻想郷のパワーバランスを維持している解釈は間をついてきた感じがする。

日常の一寸先は闇が取り巻いている、伝統的な和の文化。

 

往々にして人は、自分の血筋を残すことには必死だけれど前の血筋には無頓着なところがある。3代も遡ればもうわからない。

そう、私も自分が誰からできているかは知らない。何が先祖なのかはわからない。

これからはこういう心持ちで墓参りをしていきたい。