四半世記

感想文ページ(ネタバレあり)

恋愛が当たり前でない時代の恋愛物語 ‐ やがて君になる感想(8巻)

 ついに完結したやがて君になるを振り返った感想。

8巻というより総括。

 

1・2巻の感想はこちら

3巻の感想はこちら

4巻の感想はこちら

5・6巻の感想はこちら

7巻の感想はこちら

 

8巻の粗筋

ウイニングラン。 

 

燈子先輩がいかに可愛いかみたいな話はまた別の機会にするとして、 やや真面目な感想を。

8巻は燈子と侑が想いを伝えあって恋愛モノとしては最高潮の状態からはじまる。

そこから1巻分物語があるわけだけれども、セックスシーンがあるということ以外にもこういう構成にしたことにはちゃんと意味があると思っている。

 

やがて君になるはなにを描きたかったか

やがて気になるは超正統派恋愛漫画である。

私自身が1・2巻を読んだときに思った感想だけれども、「好き」という感情とか恋愛というものが誰にでも訪れるものではないという前提にたったうえで、あらためて恋愛を描く。

「好き」とか恋愛とかを疑ってかかったうえで恋愛を繰り広げる、恋愛に真摯な物語だと思う。だから超正統派。

試み自体は革命的という方向ではないけれど、終わりまで読んでみてかなり完成度が高いと思った。

 

やがて君になるの主人公小糸侑は、物語の開始時点では特別という気持ちがわからない。文字通り絵に描いた先輩に迫られてキスをされてもなにも思わない。

私は1巻初版を持ってる読者だけれども、出版された当初は侑と燈子の間で恋愛を介さない新しいタイプの関係性が築かれるという期待もあったように思う。2巻くらいまではどっちに転ぶかわからないところもあった。

でも、3巻のラストで方向性は明らかになって、この物語は主人公が望んで特別とか「好き」という感情を手に入れる(あるいは入れない)というテーマが示されることとなった。

恋愛という規範を外側からぶっ壊す革命児ではなく内側から飲み込んで概念を変質させる方向性。

そっと離れていった読者もいるし特にアニメ化をきっかけに途中から入ってきた読者もいる。着地点は恋愛ど真ん中でそれに歓喜した読者も失望した読者もいるかもしれないが、物語として描きたいものは最初から一貫している。

 

「好き」って結局なに?

7巻で明かされた沙弥香の「好き」は「あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう信頼の言葉」だった。燈子の全部が好きという沙弥香の感情を理由付けるとても明快な答え。たぶん多くの人が共感する答えだと思う。

 

侑の「好き」は8巻で「自分で選んで手を伸ばすもの」という答えが示されている。

侑は1巻の頃から星に手を伸ばす姿が描写されていて、それを掴むことに成功した。

侑は1巻の頃から燈子の傍にることを選びつづけてきたわけだけど、その頃と8巻でなにが違うかというと先輩を特別だと認識して選ぶということ、そうやって選ぶことが侑にとっての「好き」だと自分で決定したことが違う。

結局のところ侑には突然に降って湧いた巨大な感情のようなものは、かつてキラキラして感じられて自分にも降ってわくことを望んでいた感情そのものは湧かなかった。

その代わりに自分で選び続けてきた選択をあらためてすることでぞ自分にとっての「特別」を見出した。

ほんの少しのほろ苦さを感じる結果。少女漫画にでてくるような絵に描いた恋愛感情ではないけれど、そのほろ苦さは初読時にはわからないくらい小さい。侑が望んでいたものは手に入ったのだから。

 

燈子の「好き」ははっきりこれとは書かれてなくて上の二人よりは難しい。

そもそもやが君の面白さは燈子の読めなさにあるので、最後までわかりやすいようでなかなかわからない先輩だった。

燈子自身の「好き」という感情は侑が「特別って気持ちがわからないんです」と言ったところから始まっていて、好きという気持ち自体は物語を通じて変化がない。明確な理由があって生じたものではあるけどその熱量はそれこそ降って湧いたよう。侑が憧れていた感情を燈子は持ってた。

降って湧いたからこそ燈子は「好き」という感情の理不尽さをより思い知っていたのかもしれない。燈子が侑に言っていた「私を好きにならないで」というのは、燈子が今まで向けられてきた好きという感情が怖いというのもあるけれど、自分が侑へ向ける感情があまりにもコントロール不能だからこそそう思ったのかも。

そんな燈子が侑の「好き」を受け容れられたのはどうしてか。

燈子が最初に好きになった、侑が誰のことも特別に思わないというところはなくなって、それでも侑のことが好きなまま。好きなままなのは6巻ラストからも読み取れたけど、沙弥香の告白に返事をする際に自覚した(沙弥香がちょっとかわいそう)。

沙弥香とのシーンをみるに燈子の「好き」は沙弥香とは違う。変わっていく侑に信頼があるわけではなく、変わった侑を好きなままだったという結果だけがある。

侑の「好き」とも違う、侑を自発的に選んだわけではなく心臓が選んでいることを再確認しただけ。

 

だから、侑の告白はかなりリスクがあったのだ。燈子が侑を好きでなくなる可能性だってあった。でも一線を超えて踏み込んた。

3者3様の好きがあってそれぞれの望むものがあるなかで、最も深く踏み込んだ侑が燈子を変えて自分の望むものを手に入れた。それが明確な結末。

 

付き合ってからも侑と燈子の好きは違ったままで、それが同じにならなくたって関係性は続いていく。そういうのが描きたかったから8巻のウイニングラン部分があるんじゃないかと思う。

8巻まですべて読み終えて「好き」って結局なに?っと思い返しても1つの答えはない。侑と燈子の「好き」は同じにはならないし沙弥香だって振られても「好き」の概念が変わるわけではなし、もっといえば槙のように「好き」を持たなくたっていい。

 

持たなくてもいいはずなのだ。 

 

尊さを感じてしまうことの危険性

物語上は燈子と侑は想いを伝えあって恋愛関係になる。

これ以上ないというくらいの恋愛物としての終着点。伝え合った瞬間の盛り上がりと、その後のウイニングラン、濃厚なセックス描写も高校卒業後の二人の姿も描かれている。

正直に言って8巻のこの部分に尊さを感じるかといわれれば感じる。来年の劇も楽しみだし、結末までアニメ化してほしいと思うし、そのために資金が足りないというのであればクラウドファンディングするくらいのモチベーションはある。

それでも、『やがて君になる』の描いてきた世界観を考えたときに燈子と侑の関係の結末を過度に賛美するのは違うかな、と思う。

 

侑は物語のは始まり時点では「特別」がわからない人間だったし、槙は少なくとも物語終わり時点では「恋はわからない」のだろう。二人の違いは、「特別」を知りたいと願って行動したかどうか。

でも槙の在り方が間違っているわけでもない。

燈子と侑の関係も、燈子の自分は好きでいるけど相手に好きになってほしくないという当初の片面的な関係だって関係性としては成立すると思う。

3巻の感想でも書いたのだけど、燈子が侑の内心に気づいてやるべきだとまで言ってしまうのはやっぱり恋愛に重きを置きすぎているんじゃないかな。恋愛に忖度しすぎている、と1年前は表現したけれど。

 

恋愛が当たり前でない、という前提に立つと『やがて君になる』の結末もこうあるべきだと捉えるべきではないはず。燈子と侑の関係についても、侑が自分のわがままを通して燈子を変えたことに成功した、という部分をフラットにみたほうがこの作品のメッセージに沿っている。

侑の恋愛的な願望が成就する、それは燈子と侑の関係においてのパワーバランスの決着で、そこに尊さを過度に見出しすぎて”これこそが恋愛のあるべき姿”みたいにしてしまうとやっぱり恋愛がすべて、みたいな考え方に行きついてしまう。

燈子というキャラクターについても、侑によって変えられたことを素直に成長とは呼びたくない。成長というとどうしてもそうなることが正解みたいなニュアンスになってしまう。

もちろん、亡き姉になろうとしていた燈子にはいつ破綻するかもしれない危うさがあったし、侑も沙弥香も、おそらく読者の95%くらいは姉になろうとして自分を嫌いな在り方や、相手にだけ「好き」を受け容れさせる姿勢に否定的だと思う。

でも、姉になろうとしたことで得たものだって燈子を構成しているわけだし、変わる前の燈子にしかない魅力もある。相手に「好き」といわせない関係だって侑のように「特別」を知りたいと思っていなければうまくいったかもしれない。

だから、燈子と侑のようになることだけが正解ということはない。

 

とても多くの人がこの恋愛漫画をとても高く評価していて、百合という分野でもそうでなくても今後いろんな作品と比較され続けていくだろうけれど。

8巻が過不足なくきれいに終わったことで燈子と侑の関係が完璧のようにみえたとしても。

それでもなおその関係が唯一絶対のものではないということを描いていること、それが『やがて君になる』という作品の最大の魅力だと声を大にして言いたい。

 

www.excite.co.jp

 

結び

https://n-nio.net/

作者の仲谷先生のホームページなんですが、最終巻が発売された11月27日の記事に

「私は終わらない物語よりもきちんと閉じる物語が好きなので、自分がそれをやれたのは嬉しいね。」

と語られている。

商業性を考えると多方面に展開して永遠であるかのように続いていく作品が強いなかで、連載デビュー作にしてこれだけきっちり終わったのはほんとうにすごい。

 

私は半永久的に拡大していく物語より明確な終わりがある物語のほうが好き。

好きなテーマの作品が好きな形で終わってくれたのだから、創作に望むこれ以上のことはない。

その姿勢は、もしかしたらいつか変わってしまうのかもしれない。

けれど、『やがて君になる』という作品をその姿勢のまま産みだしたこと、その事実がある限り次回作以降も応援していくのだろう。

そう感じることができる作品だった。

 

 

 

やがて君になる(8)
仲谷鳰
2019/11/27
748円
210ページ

 

佐伯沙弥香の恋模様について思うこと ‐ やがて君になる感想(7巻)

 

7巻の感想を、当ブログではあまり焦点をあててこなかった佐伯沙弥香を中心に

スピンオフである佐伯沙弥香について1・2の内容にも少しふれつつ

 

1・2巻の感想はこちら

3巻の感想はこちら

4巻の感想はこちら

5・6巻の感想はこちら

 

7巻の粗筋

6巻では侑が燈子に気持ちを伝えて告白するところまで。

7巻は、侑と距離が空いた燈子に沙弥香が修学旅行で告白する、という部分が本筋。

 

沙弥香の立場からは侑と燈子の間になにかしらがあったというのは理解しているけれども、実際になにがあったのかは把握していない。探りもしていない。

だから、侑の告白から生まれた状況を利用しているわけではない。それでも、沙弥香が告白するきっかけはその状況を把握したからだった。

燈子が弱っている自分を他人に見せる、そういう状況。

 

この展開がいかにも沙弥香らしく、どうしようもないやるせなさを感じてしまう。 

 

佐伯沙弥香にとっての「好き」とその結末

「あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう信頼の言葉」(112ページ)

これが沙弥香にとっての「好き」の意味。

これはたぶん、多くの人にとってそれなりにすっと納得できる言葉であると思う。すごくレベルの高い言語化。でも優等生すぎてちょっと物足りない感じ。

沙弥香の燈子への感情ははっきりしていて、高校の入学式での一目ぼれ(3巻45ページ)。どこを好きかというと、顔。これほどはっきりしている恋愛は創作では逆に少ないかもしれない。

 

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顔がいい

沙弥香の燈子へのアプローチもはっきりしていて、踏み入らないということ。

姉になろうとしてもともとの自分を嫌っていた燈子に対して、もともとの燈子の在り方について察しながらもそれには言及しない。燈子に自分を好きになってほしいと思いながらも、それを口にしない。

「でも私はきっと待ちすぎた 恐れすぎた」(127ページ)と沙弥香は最終的に総括しているけれども、じゃあ踏み込んだらよかったのかといわれるとそうでもないように思う。

沙弥香は沙弥香の立場でとりうる最善の選択をして、それは燈子が姉を演じ続けてる限りにおいては燈子にとってもベストの対応で、でも燈子が姉を演じなくてもよくなったから最善ではなくなった。

でも本当は沙弥香も燈子が姉を演じなくてよくなって燈子自身へとむけられる好意を、とりわけ自身の燈子への好意を受け容れてほしかった。

沙弥香が自分の望みを表に出さなかったのは戦略的な判断でもあるのだけれど、そうせざるをえない面もあって、恋愛シュミレーションゲーム風にいえば”詰んでた”という表現になるのかな。

ここがすごくやるせない。

 

そして、燈子をそのように変えた侑に対して、自分が望みながらできなかったことをした侑に対しては、恨むでもなく(ほんの少しくらいはあるかもしれないけど)「悔しいなあ」という言葉を漏らす。

なんてすがすがしい人間性。私は好きな言葉ではないのだけれど「いい女」という表現がぴったりだと思う。今はどうかわからないけど、人気投票で燈子を大きく上回っていたのもうなずける。

 

ともあれ、最善の選択をした沙弥香は燈子の特別の一端を手に入れたという結果が残った。

燈子が初めて告白に対して真摯に答えた相手だし、初めて好意を嬉しいと思った相手。

だからなんだただの慰めにしかならない、いや自分にも相手にも一生残る特別、どちらの見方もできると思う。

どちらにせよ、それが特別であることには違いない。

 

佐伯沙弥香の恋愛遍歴

スピンオフの佐伯沙弥香についてについても少しだけふれたい。

 

まず小学生時代の話。

いや、これがすごい味の濃いエピソードで。正直沙弥香についてはこれが一番印象に残ってる。

スイミングスクールで仲良くなりたいと沙弥香に絡んでた女の子。水中で首筋にキスされて、名前も語られないまま終わった女の子。

沙弥香にあわせて良い子になろうとしたりして、でも突然関係は終わってしまう。

そのことについて是非をいうつもりはないけれど、燈子と侑もそういうふうに終わる可能性もあったんだなーと思うと、恋の残酷さが際立つ。

 

そして中学時代の、漫画でも登場した柚木先輩。

この先輩は一昔前のちょっと同性愛要素も入れてみました系の作品にでてきそうな、典型的で憎たらしい人なんだけど。

小説での描かれ方は沙弥香もお試しで付き合ったわけだ。お試しで付き合って上手くいく関係もあるけれど、それには沙弥香は真面目過ぎたという悲劇。

でもキスをしたとたんに好きでないことを知ってしまう、この場面は少しだけ柚木先輩に同情してしまった。漫画を読んだ限りだともうちょっとくらいは恋に恋することを楽しんでいられたのだと思っていたから。

 

そしてこの次が燈子。

こうして並べるとなかなか波乱万丈。関係性でいうと燈子が一番穏やかなんじゃないかというくらい。

3つの関係をストーリー立てるなら、水泳小学生との関係では好意そのものが未知で怖くて逃げ出すしかなかったのが、先輩との関係では相手の望む形で好きというものをつくって、燈子との関係では相手の望む形を演じつつも最後に自分の「好き」をぶつけられた。

進歩している風に考えるとこんな感じなのかな。

進歩して関係性の作り方がうまくなったからといってうまくはいかないものだけれど。そもそもうまくなるということはあるのだろうか。

 

沙弥香の次の恋模様は漫画でもスピンオフ小説でもすでに予告されていて、「佐伯沙弥香について」シリーズは3が出ると。完全未知の領域の大学生編という予告なので予想を上回る展開を期待してしまう。「私はまた失敗するのかもしれない」という予告が不穏だけど。

漫画の時点では少し距離が空いた感じになってる燈子との関係がどういう風に落ち着くのかも楽しみだったり。

 

結び

佐伯沙弥香はおおよそできうる最善の選択をして、結果として恋に破れた。

そのことをしっくりくる言葉で言い表すのは難しくて、ささつ3で陽ちゃんとうまくいってればいいかといわれるとそうでもない。

沙弥香の「好き」はとても明確に定まっていたけれど、好きという感情がひきおこす諸々についてはより難しい。

 

 

 

やがて君になる(7)
仲谷鳰
2019/4/26
715円
185ページ

 

七海燈子とはなんなのか ‐ やがて君になる感想(5-6巻)

やがて君になる5-6巻の感想について、七海燈子を中心に

1・2巻の感想はこちら

3巻の感想はこちら

4巻の感想はこちら

 

 

5‐6巻の粗筋

 

4巻のラストは、侑が燈子に変わってほしくて劇の結末を変えることを決意したところまで。

 

5巻はそこから劇に至るまで、6巻は劇が終わったその後まで。

劇はやがて君になるという物語の大きな柱で、七海燈子のためのもの。

だから七海燈子というキャラクターにフォーカスして感想をしたためてみたい。

 

他にもいろいろな要素があるのだけど、それはまたいつかということで。 

 

ちなみに2018年のアニメの放送範囲は5巻24話の「灯台」までなので、アニメ版の既放送範囲を超えた内容になります。

 

 

七海燈子にとっての姉

 

物語開始時点の七海燈子を一言で表すと「お姉ちゃんになりたい妹」。

小さい頃は「いつも誰かの陰に隠れてた」(1巻155ページ)。

誰か表現されているけれどもほぼほぼ姉の陰なんだろうと思う。

その姉が交通事故で亡くなって、「お姉ちゃんの代わりになろうと思った」(2巻157ページ)。

お姉ちゃんのように振舞えばみんなの特別になれたから。

生徒会劇はお姉ちゃんがやり残したことだからこそ、燈子はそれに執着する。

燈子にとっての特別である侑と天秤にかけても劇(姉)を優先する。

 

この執着心をどのように評価するは難しいものがある。

お姉ちゃんの代わりになろうとするという行為自体は燈子に負荷をかけていることは確か。独立した個人という存在を尊重したらあり方として望ましくないのかもしれない。

でも、お姉ちゃんになろうとしたからこそ得られたものもたくさんある。

まわりの特別になったこともそうだし、侑との出会いも燈子がそういう存在でなければなかったかもしれない。あの侑をして1巻冒頭から「かっこいい先輩」(1巻14ページ)と形容させるくらいだし。

だから肯定的にも否定的にも断ずることはできない。お姉ちゃんへの執着は燈子にとって不可欠なものであったのだろうから。

 

執着心の当否とは別に、燈子にとっての姉の像が一面的なものであることも4巻までで描写されてきたところでもある。

4巻では姉の同級生の市ヶ谷からおいしいところだけもっていくとか役員総出で夏休みの宿題を手伝ったとか、そういう完璧とは遠い姿も明かされている。

だから「お姉ちゃんになりたい」というよりは「自分がお姉ちゃんだと思っていた姿になりたい」。自分の思い描いた姿になりたい、ある意味では自己実現なのかもしれない。

 

 

七海燈子にとっての劇

 

「燈子にとってあれはもうたかが劇なんて言えるものじゃない」(5巻109ページ)

という沙弥香のことばのとおり、劇は燈子にとっても、この物語にとっても核となる意味をもっている。

 

劇のあらすじは、

記憶を失くした少女に対して、3通りの姿を語る見舞客(同級生・弟・恋人)。

同級生は完璧で理想的な姿を、弟は冷たくて孤独な姿を、恋人は弱さをさらけ出す姿を語る。

 

当初のプロットでは、恋人に見せていた姿が本当の自分だと選択する。

詳しい内容は、漫画では詳細には語られていなかったが、アニメ12話のほうで練習をしている描写の補完があって興味深い。携帯のパスワードも恋人のパスワードであったことがラストで判明し、選択の正しさを裏付けられた形で締められる。

過去の自分と同じ選択をして、それが正しいと過去の自分に裏付けられる。

 

侑が介入したあとのプロットは、6巻の本番でじっくりと語られる。

携帯のパスワードは見舞客3人と関係する数字を足したものであることが判明し、葛藤の末過去の自分のどれかになるのではなく、今の自分が最も自然でいられる在り方を選択する。

 

 

劇は本編そのものではないけれど複数の側面から関連している。

まず、誰かにならなくてはならないという意識。交通事故にあった劇の主人公と姉が亡くなるまで自分になにもなかったという燈子は、その意識を強く有するという点で共通する。

 

次に、なにが本当の姿だったのかわからないということ。交通事故前の劇の主人公も燈子の姉の澪も、複数の顔をもっていたけれどもそれをどういう意図で使い分けていたのかどうして使い分けていたのかは語られない。

「観客が見てるのは今の主人公でしょ」(5巻22ページ)という侑のセリフが示すとおり、読者そして主人公である侑がみてる七海燈子は姉が死んでからの姿でしかない。だから、必要以上に過去の情報を出さないのは物語のつくりからして意図的だと感じる。

 

そして、恋人との関係。

劇の主人公は、恋人の前だけでみせた弱さがあった。それが本当の素顔なのかはわからないけれども。燈子も、恋人(にはなっていないけれど)的な存在である侑の前だけで見せる顔がある。 

劇では、恋人の前で見せていた自分を本当の自分と定義づけるのをやめている。そして、劇をそういう結末に変えることで、燈子の侑に対する依存関係を止めている。

「侑のこと好きな部分は私だって言い切れる」(5巻55ページ)という燈子は、姉を模倣する部分と本当の自分を分けていた。それを劇中で「違ったんだね」(6巻96ページ)と心から言わせることで、姉を模倣していた自分に向けられたものも自分自身に向けられたものとして受け容れることができるようになった。

すなわち、「お姉ちゃんになりたい」自分を自分として認められるようになったということだと思う。そして、それが燈子にとっての劇の最終的な意味なのだろう。

 

 

七海燈子にとっての小糸侑

 

5巻前半までの燈子にとっての侑は、自分のことを知っている人だった。

燈子目線からいえば自分の弱みを曝け出しているのは侑に対してのみで、だからこそ欲望にストレートに行動することができたのだろう。

5巻後半で侑が劇の結末を変えようとする=姉になり代わろうとだけすることを否定することによって、距離が空くことになる。

それでも5巻ラストで最終的に頼る相手は侑だったわけで、しかも「キスさせて」というリビドーど直球な甘え方はこれぞ七海燈子という感じなのだが、これは2巻の河原のシーンで侑を拒絶した場面と比較すると随分と力関係が変わっている。

2巻のときは「わたしの言うことになら耳を貸してくれると思っていた」(159ページ)という侑の見立ては外れていたのだけど、そこから気持ちを押しとどめて関係を続けていくなかで燈子の心理的外壁を破ることに成功した。

そしてここが侑のすごいところだけれど、「好きでいさせて」という燈子の懇願に対して姉になりたいという気持ちを否定しないで応えたところ。そこを否定しなかったからこそ、侑への信頼と6巻での劇の成功による実証へと繋がっていく。だから、侑を主人公とした燈子へのアプローチは5巻末で決着がついている。

 

劇終了後の燈子の侑への感情の変化というのはわかりそうでわからない。

「全部先輩のものです」(5巻162ページ)という侑の言葉を信じて劇を成功させ、そのの結果残ったものを「本当に私のものだったらいいなって」(6巻123ページ)思えるくらいにはなった。姉への執着も侑を好きと思う気持ちへの依存も緩和されている。

そうはいっても侑を抱きよせて「大好きだよ」(6巻126ページ)と言ったり「これからも今までどおりそばにいれくれたら嬉しいな」(6巻155ページ)と言ったり、基本的なスタンスは変わらないようにみえる。

 

でも、読んでる読者からすると侑と同じように燈子先輩結構変わったなって思うわけです。言葉での表現は難しいのだけど。

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左が劇前(5巻)で右が劇後(6巻)。雰囲気が違う、絵ってここまで表現できるんですね。

あらためて読み返すと、燈子は欲望のままに侑を振り回す姿が印象的なんだけれど、一つ一つのコマを見ていくと物憂げな表情とか陰のある表情が多い。それが、劇のあとの6巻だとすごくすっきりした表情になってて、しかもそれが持続している。ここまで6巻あって燈子のそういう表情が続くというのははじめてだったりする。

でもそれは決して周りがみえて余裕があるわけじゃない。侑の変化に気づいているわけでもない。

侑が燈子に好きと伝える瞬間、それは3巻ラストからいつかそういう瞬間が来ると予測されていて、いざその時がきたら燈子はどういう反応するだろうと色んな人が色んな予測をしていたのだけど、私は思ったよりも柔らかい反応だなと思った。

好きといわれた瞬間に冷めそうとか、そういう極端な予想も2巻くらいのときは現実味があったんだけど、追いかけなきゃと思うくらいには世界との接点ができてるんだなーと。そして、侑の告白に呆然とするくらい侑のことを素直に信じきっていたんだ、と。その無防備な素直さが私が思う燈子の最大の魅力で、一方でそれなりの数の読者に「そういうところだぞ」と指をさされる点でもある。

 

侑の燈子への好きという気持ち。それは「全部先輩のものです」というもののなかで最も大きいもので、同時に信じていた侑が信じていたとおりの姿でなく燈子自身が拠り所としていた侑への気持ちの出発点を揺るがせるものである。

だからこそ、「侑のことが…怖いなんて……」で締められる。

 

 

やがて君になるにおいての七海燈子とは

 

6巻までのやがて君になる、という作品の中心は生徒会劇にあったといっていい。

1巻末で燈子が生徒会長になり、2巻から生徒会劇の復活を目論んでいることが語られる。そこから6巻の劇の成功まで、話の軸であり続けた。

劇そのものの内容は、燈子のパーソナリティに直結した内容となっている。自分がなく、誰かになり代わらないといけないと思っていた。けれどそれは違っていて、なりたい自分を選ぶというその選択自体が自分だということを受け容れられた。

主人公である侑がそう望みそうなるように行動した対象、そういう意味では正しくヒロインしているのである。

 

劇と七海燈子を通じて描かれてきた「自分」というテーマ、自身の選択によって自分を形つくっていくというテーマ。これは、やがて君になるのもう一つのテーマは「好き」という気持ちがなんなのか、という侑が抱えてきたもう一つのテーマと密接に関わっている。

「自分」という概念「好き」という気持ちの主体・客体になるもので、自分と他人の境界がないと「好き」という気持ちは成立しない。自分と他人の境界が曖昧ならば何を好きということもできないし、好きになられる対象も認識できない。

「好き」ということの前提になっていた「自分」を見出したことで、燈子は今まで無邪気に発してきた侑への「好き」という気持ちに向かい合えるようになる。6巻まできてついに侑と燈子が同じテーマを追いかけられるところまできたといえる。

こうしてみると侑と燈子は密接に関係したテーマを抱えるダブル主人公という感じだ。

 

 

 

結び

 

今回は燈子にすごくフォーカスして感想を書いてみたけど、他にも魅力的なシーンはたくさんあった。

なかでも、侑が「私だけがあなたの特別でいられたのに」とつぶやくところとか、34話冒頭で侑がひたすら燈子をちら見しているところとか。いままでは侑についてあんまり可愛いみたいな感情を持たなかったけど、34話の冒頭の破壊力はすごかった…

侑の可愛さを引き出したのはまぎれもない燈子先輩である。長々と書いてみたけれども、七海燈子というキャラの魅力はこの事実に尽きるといってもいい。 

 

 

 

やがて君になる(5)
仲谷鳰
2018/1/26
616円
178ページ
やがて君になる(6)
仲谷鳰
2018/9/27
616円
178ページ

遠見東高校生徒総会(やがて君になるスベシャルファンイベント) 昼公演に行ってきた

 

仲谷鳰という方の描かれた現在7巻まで発刊中の漫画を原作とした、

2018年10月5日から放映開始されたアニメ「やがて君になる」の、

スペシャルファンイベントに行ってきました。

BD/DVD1巻購入特典が昼公演の優先申込券で無事当選。

 

 

 

会場・開会

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場所は世田谷区民館ホールということで東急世田谷線世田谷駅から歩いてすぐ、国士舘大学のすぐ隣。

閑静な住宅街におしゃれそうなお店が混じる街並み。

会場は見た目とは違って中は結構ちゃんとしてました。

しかし5月なのに最高34度の猛暑、たどり着くのが一大事。

 

開会は生徒会長七海燈子役の寿美菜子さんの号令で起立・礼とともに学校らしく開始。

オープニングトークでは佐伯沙弥香についての2巻がとても推されていたのが印象的。

 

ベストときめきシーン

キャストが選んだやが君ときめきシーンをみんなで鑑賞して投票するコーナー。

聞くところによれば昼と夜ではチョイスが違うとのこと。

 

2話の踏切キスシーン:高田憂希(小糸侑役)チョイス

最もオーソドックスな選択、にみえるけれども後輩の唇を同意なく奪うという選ばれし人ににしか許されないシーン。

槙君役の市川さんも候補のひとつだったらしく、実況コメント付きでした。

 

あらためてみると侑が「私、好きになるとかないですけど」と言ったあとに振り向く燈子の表情が”ずっと探していたものを見つけた”っていう驚きと喜びに満ち溢れていてなんともいえない。

あそこまで綺麗に恋に落ちられるといきなりキスされてもなにもいえない、のかもしれない。

 

4話の生徒会室キスシーン:市川太一(槙聖司役)チョイス

流れた瞬間に会場に笑いが走ったシーン。

槙君の出番あり、「侑、えろい」あり、ともすればキスシーンが霞む盛沢山具合。

 

槙君役によるコメンタリーあり、最終的に昼の部ではこのシーンが一番人気だったこともあり、観る側が感覚を共有することの市場での影響力の強さを感じさせる。

 

7話の「いいわよ堂島君」シーン:野上翔(堂島卓役)チョイス

コミカルな部分もありつつ登場人物の水面下の探り合いもあり、味わい深いシーン。

このシーンを選ぶということ自体がなかなか玄人感があって、チョイスとして好き。

 

このイベント全体を通して堂島というキャラも中の人もすごくいいアクセントになってるなって思いました。

 

8話のさようなら先輩シーン:茅野愛衣(佐伯沙弥香役)チョイス

誰よりも佐伯沙弥香フリークな茅野さんチョイス。上二人もそうだけど場面が流れた瞬間に会場が察するのが面白かった。

 

さようなら部分までを取り出すとやってやったぜ!みたいな爽快感があるのだけれど、その後の燈子の脈なし感も含めると・・・

 

11話のお風呂シーン:寿美奈子(七海燈子役)チョイス

数あるエロ峠のなかでも最もコミカルな峠シーン。これも流れた瞬間会場が笑いの渦に。ここも心理的駆引きが面白いシーン・・・だけど、ときめき?

 

ここの「思ったよりある」のシーンをみると、燈子の欲望にまみれた眼差しは光の屈折を超えるんだなって。

 

 

上のなかだと2話のキスシーンに投票したけれど、ときめきシーンという枠じゃなかったら7話に投票したような気がする。

全編通しての個人的なときめきシーンは12話のベッドシーン。

「私のままの私になんの意味があるの」の冷たい眼差しとか、燈子が侑に冷たい面をはっきり見せるのが今となっては関係の進行だったと思う。

 

やがて〇〇の話になる

やが君のラジオの1コーナーの公開収録バージョン。

まったく関係のないお題二つについて自然に話題を切り替えていくという内容。

ラジオの流れを引き継いて高田憂希という人がすごく輝いていた。

 

前半は先輩チームでゴールデンウイークから生徒会役員に立候補したくなる話。

こちらは寿・茅野両氏が打ち合わせをしているときの表情がよかった。

 

後半は後輩チームで、お題は合宿からイベントグッズの話。

「ここは今から合宿場だ!」

という掛け声から始まる開幕10割。男性陣二人がノリが良かったからか大惨事は免れていたと思う。

 

どちらが自然だったかはいうまでもないけれど、インパクトがあったのは後半。

 

朗読劇

待望の原作者仲谷先生書き下ろし朗読劇。昼と夜で内容が少し異なったようなので、両方申し込んでおけばよかった。

 

内容は原作4巻の合宿1日目のカレーをつくっていた1コマを膨らませたもの。生徒会5人で買い物→カレー作りという流れ。

印象に残っているのは

  • ピーマン嫌いでカレーは甘口で二日目派な燈子先輩、子供舌設定
  • 好き嫌いなく食べても大きくならないものはならない(by侑)
  • なんだかんだ燈子先輩に甘口な侑と沙弥香。カレーは燈子先輩の望み通りの味付けに
  • じゃがいもの皮むきに苦戦する沙弥香先輩。劇での林檎の皮むきシーンを心配される。2期があったらこの設定はアニメに生かされるに違いない(可愛い沙弥香先輩の姿のためにも2期をどうか・・・)
  • 男性陣のほうが料理できる設定
  • 先輩たちとサイクリングに行きたい→やがて〇〇の話になるメタネタ。文字だと表しにくいんだけどここがすごくおもしろかった。計算か自然か、侑にポンコツ属性が
  • 「これじゃあただの高田さんだよ」(許可をとったうえでの市川さんのアドリブらしいけどこれで笑わずに演技を続けられるキャストの人々はやっぱりプロなんだなーって)
  • 福神漬けに異様な執着を見せる沙弥香先輩。結果、侑が買い出しに行き燈子がついていく流れになる痛恨のミス
  • 買い出しにいって帰らぬ人となったお姉さんを思い出して侑についてきた燈子先輩。甘いけどちょっとシリアスでしんみりな雰囲気で締め。4巻もコミカルとシリアスの揺れ幅が大きい巻だったことを思い出した。

いやあよかったよかった。

尺自体もそれなりにあり、新設定も開示され、燈子先輩らしいところも盛沢山。

声優という職業の人が演技をしているのをはじめて間近にみたけれど、それぞれページのめくり方とかこだわりがありそうな感じも眼福。

 

音楽鑑賞会

という名のライブ。全部で3曲で「君にふれて」「rise」「hectopascal」

会場がライブ向きでないので音が多いパートになると音響が厳しい感じになるのが惜しい。

 

安月名莉子という人をはじめてみたけれど、仕草とかがスレてなくて可愛い感じ。それでいて歌うときはギターを弾きながらだから、そのギャップが魅力的。

会場の音響が微妙だったから、むしろバック音楽なしに弾き語りのほうが映えたかもしれない。

 

hectopascalはなんと振り付けつき。これがなかなか意味がありそうな振り付けだったんだけど、記憶を思い出して細部を語るのは難しい。

hectopascalという曲は2番に重心があると思っていて、2番の「そんなことより明日は2人でどこかへ行こう」みたいな2人のズレを歌詞に落としているところがすごい。

で、ライブでもフルバージョンだったんだけど、振り付けも例えば歌いだしで侑は燈子をみているけれど燈子は侑をみていないみたいなそういう仕掛けがされていた。この振り付けは今回だけではもったいないと思うし、ズレがなくなった2人のキャラソンも聞いてみたい。欲望はつきない。

 

結び

今回のイベントは、原作が11月に最終巻ということでアニメの2期の発表があるかということが1つの焦点だったけれど、それはなかった。少なくとも最終巻にあわせた近い時期にはないということはいえると思う。

けれどもイベント自体はファンの喜ぶ要素が詰まった熱量のあるものだったので、いつか残りの部分も映像化されるという期待はもてた。イベントで高まった熱を静かに保ちつつそのときを待ちたい。

 

燈子と侑、二人の「わがまま」 ‐ やがて君になる感想(4巻)

わがままだ。あなたも わたしも。

(帯文から)

 

やがて君になる4巻の感想について

1・2巻の感想はこちら

3巻の感想はこちら

 

 

4巻の粗筋

3巻の終わりに、侑が燈子先輩のことを好きになった。

4巻の大筋は生徒会劇の準備。生徒会劇は脚本を書いたこよみの意図しないところで七海燈子のキャラクターとリンクする内容になる。劇の内容が明かされることで同時に燈子の内面も描かれる。

もうひとつは、侑の燈子へのアクション。3巻までで生じた侑の内面の変化が「あの人を変えたい」という形で行動にあらわれる。これは劇の結末の変更という形であらわれる。

 

そして4巻といえばベッドシーン。

えろい。服を脱がないベッドシーンがこんなにもやらしいとは。そしてやらしいだけではなく背筋がゾクッとするような冷たさも同時に味わえる。

アニメの12話のほうで忠実に再現されていたのでそちらも要チェックだ。

特に声がとてもよかった。BDが届くのが楽しみ。

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七海燈子の「わがまま」

 

七海燈子がわがままだと言われそうなところはすでにいっぱいある。

1巻で「君はそのままでいいんだよ」と侑を励ました次の瞬間に「君のことになりそう」と言うところとか誰のことも特別に思わないところを好きなのに「好きでいさせて」と一途ぶったセリフを言うところとか

2巻で「先輩のこと好きにならないよ」と侑に言わせただけでは飽き足らず「劇を手伝って」「私といて」「ほかの人を好きにならないで」「私のこと嫌いにならないで」『私を好きにならないで』と数々の条件を追加するところとか

3巻で沙弥香の気持ちを知ってか知らずか「これからも頼むよ沙弥香」と言うところとか好きになってほしくないくせに侑からのキスをご褒美に設定するところとか

半分くらいずるいところリストだけど。

 

じゃあ小糸侑が七海燈子を「わがまま」だと感じているところはどこなのだろうか。

冒頭で紹介した「わがままだ。あなたも わたしも。」というのは帯文であり、作中で侑が燈子をわがままだという箇所はない。

侑が燈子に不満を感じているところ、思うものがあるところはどこか。それはやっぱり、ベッドシーンの「私は自分のことを嫌いだから」というところなのかな、と思う。

そのあとの駅での「先輩のばーか」という侑にしては強い言葉に直接的にかかるところだから。

そしてそれでいて侑のことを好きだと言ってくるところ。好きでいるために自分のことを好きにならないでと求めるところ。この片面的な関係を求めるところが侑でも「わがまま」だと思うところなのではなかろうか。

 

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燈子はこの場面でなぜここまで「わがまま」を通そうとしているのだろうか。

実は燈子視点では「私のことを好きにならないで」と言うのはこの場面が初めてだったりする。

2巻の終わりでは心の中で言うだけだったり、3巻では侑がそうと推測している描写はあれども直接確かめるシーンはなかった。

そして4巻、先に切り出したのは侑で、合宿後に侑が燈子を自分の部屋に誘うシーン。

 

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ここで、「先輩を好きにも嫌いにもならない」と言っている。

侑が「好きにならない」と言ったことは燈子にはどう映ったのだろうか。

心情は直接的には描かれていないけれど、このセリフを受けて渋っていた燈子が侑の部屋へ行き心置きなく甘えちらかしているので、効果はあったのだろう。

そして甘えちらかす流れで「侑は私のこと好きにならないでね?」と言っているのである。

燈子の視点から考えると変わらずにいてくれる侑に対して再確認の意味でこの言葉を発しているのだと思う。今のままで、私の望む侑のままでいてという言葉。

 

しかし、侑視点、そして読者の視点からすると侑はすでに燈子を好きになっている。だから燈子の「好きにならないで」という言葉は無理を強いているように見えて、呪いの言葉のように映る。それはもはや「わがまま」という域を超えているようにも。

 

侑の視点で感情移入しきっていくと燈子が暴君のような振舞いをしているようにみえるかもしれないが、燈子の視点で追っていくわがままという意識はないのかもしれない。もしかしたら1巻と同じようなニュアンスで言っているのかもしれない。

 

燈子の行動の是非というのは、一般的には否のほうが優勢な賛否両論だろうか。

ここまでされて(ベッドの上でキスをされて)好きになるなというほうがおかしい、という感じの意見をよく目にする。

個人的には、燃えるような熱情をもって好きでなくてもキスはできるし恋愛を模した行動はできると思うので、燈子が望むような一方的な関係も成立しなくはないと思う。一応そういう関係を望んでいることを表示しているから。

だから燈子の行動に対してあんまり肯定否定という感覚はない。

ただ、「わがまま」と言われればそうなのかなと思うくらい。

 

 

小糸侑の「わがまま」

 

侑のほうのわがままは本人がはっきり口にしている。

「七海先輩に自分のこと嫌いじゃなくなってほしい」

 

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燈子がなぜ自分のことを嫌いなのか。

はっきりと明言されてはいないけど、まわりの部分は1~2巻で描かれてきた。

  • 幼いころの燈子はいつも誰かに隠れてるなにもない(と本人は思っている)子どもだった。
  • けれど誰からも慕われる姉が亡くなって、(燈子からみて)完璧な姉と同じになるようにした。
  • そうして特別な自分になったら姉に向けられていたのと同じような好意を向けられるようになった。

こうして得た特別な自分は、例え侑が望んだとしても手放せないものである。燈子自身がそういう自分に価値を認めている。価値を認めるからこそ、なにもない自分に戻るわけにはいかない、嫌いという感情が生じる。

しかし一方でもともとの自分とのギャップに無理が生じてて、沙弥香にも気づかれているし侑には素の自分で甘える。

 

そんな燈子に対する4巻までの侑の対応は、基本的には燈子の望み通り甘えさせることに終始していた。心の中では無理をしてほしくないという感情を持ちつつも、2巻の河原のシーン以外はそれを内側に抑えていた。

河原のシーンのときも「そういう先輩のほうが好きな人もいますよ」という遠回りな言い方にしていた。

それが、4巻では「あの人を変えたい」という能動的な姿勢になっている(燈子に直接ぶつけているわけではないけれど)。姿勢の変化は、無理をしていない燈子が好きだから、好きになったからということになるのだろう。

私の好きなもののことを嫌いと言わないで。自身のことを嫌いと言わない、私の望む先輩になって

これが侑が自分で言うところの「わがまま」なのだろう。

 

燈子の在り方は他人からみると歪に見えるから、侑の「わがまま」は自然なものにみえる。

それでも、自律的に決めた自身の在り方に他人が介入してくるというのは強い力の働きかけである。その原動力が「好き」ならばまさに「『好き』って暴力的な言葉だ」という燈子のセリフの通り。

侑はもともとそれを持っていなくて、3巻分の時間をかけてそれを手に入れたから、たぶん「好き」という言葉の強さについて自覚的なのだと思う。

だからこそ、好きだから相手を変えたいという多くの人が当然のようにもつ欲望を「わがまま」と自分で表現したのではないか。

「わがまま」と表現する侑の丁寧さというか、相手を尊重してる感じはすごく健気で報われてほしい、望みが叶ってほしい。少なくとも、その「わがまま」を燈子にストレートにぶつける機会がきてほしいと思う。

 

 

結び

 

こうして振り返ってみると4巻が物語の核が出揃って反転していく転換点のように感じる。

好きを知らない小糸侑と自分が見失っている七海燈子。

燈子は侑に好きを教えて侑はその好きをもって燈子に「自分」になってほしいと行動する。

やがて君になるというタイトルはこういう相互性を意味しているのかもしれない。

 

 

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やがて君になる(4)
仲谷鳰
2017/6/26
616円
178ページ